【ドントテルミー荒井】大人の教養TVで学ぶ「ロシア・ソ連」【歴史】

ドントテルミー荒井

 

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「ロシア・ソ連」の歴史

日露戦争

【日露戦争】原因は?日本海軍の最強戦術とは?開戦からその後の影響まで徹底解説!

戦争前(~1904/2)

戦争前のポイント

  • ロシアの南下政策→イギリスとロシアのせめぎあい
  • 清の領土の奪い合い
  • 日英同盟
ロシアの南下政策

世界最強国はイギリス

イギリスは植民地政策で大儲け

しかしロシアは不凍港がないため
植民地政策がとれない。

不凍港を求めて、南への領土拡大を目指す
→南下政策

領土拡大として候補先は次の2カ国

  • オスマン帝国
オスマン帝国への侵攻

イギリスはスエズ運河の要衝を取られてしまうので
ロシアの南下政策を防ごうと画策する

イギリスはオスマン帝国をバックアップして
ロシアを倒し、南下を阻止する

清の領土の奪い合い

順調に領土を拡大する

ウラジオストクという不凍港を作ることに成功

1895年に下関条約が結ばれ、日清戦争が終結。
朝鮮半島の独立、遼東半島が日本に割譲される。

ロシアはドイツ・フランスとともに
遼東半島を清に返すように日本に要求。
→三国干渉

日本は遼東半島を清に返還する。

日清戦争の敗戦により清は欧州の各国に
領土を狙われ奪われることになる

この勢いに乗じてロシアは遼東半島を領土にする。
しかし、日本にとっては三国干渉によって
返した遼東半島をロシアに奪われた形となった。

日英同盟

イギリスはこの状況に加え、
中央アジアでも領土を広げインドに迫る勢いを見せていた
ロシアに強い危機感を抱く。

イギリスはオスマン帝国、インド、清に
全てに戦力を振り分けるのは難しい状況。
そこで日本と日英同盟を結び、
オスマン帝国、インドに戦力を集中させる状況を作った。

日本はイギリスからの支援を受けて
日露戦争へと突入していく

戦時中(1904/2~1905/9)

戦争中のポイント

  • 目的は領土を取り返す
  • 戦場は陸と海
  • 日本海海戦
  • ポーツマス条約
目的は領土を取り返す

この戦争の日本側の目的は二つ

  • ロシアの南下政策を阻止
  • 遼東半島を取り返す
戦場は陸と海

日露戦争の舞台は陸と海

陸では領土を取り返すため遼東半島が戦場となり、
また遼東半島での補給路を絶つため、
海上も戦場となった。

日本の戦略としてロシアの港を先制攻撃することであった。
攻撃するロシアの港は次の二つ。

  • 旅順港(遼東半島の港)
  • ウラジオストク

旅順とウラジオストクで戦力を半分ずつ分配し
海も陸も日本が有利に進める

旅順港攻略

まず海から旅順港を攻撃したがあまりうまくいかず。
そこで陸からの攻撃に切り替えた。

陸軍を指揮していたのは乃木希典(のぎ・まれすけ)。

乃木坂の「乃木」は
この乃木希典の名前が由来になっているよ

ということは乃木希典がいなかったら
乃木坂46も違う名前になっていたのかな

乃木は戦死者を出しながらも諦めずに攻め続けた。
戦死者は1万5千人という犠牲を払ったが
旅順港を攻略した。

旅順港にあった砲台を利用して
旅順港にいたロシア艦隊を殲滅した

ウラジオストク攻略

ウラジオストクのロシア海軍は
日本海で大暴れしていた。

民間の船舶にも被害が及び
日本としては無視できない状況

旅順とウラジオストクで手分けして攻め、
ウラジオストクの艦隊を殲滅し
海を自由に航行できるようになる

日本海海戦

ロシアはバルチック艦隊を日本海へ送り込むため出港する。

バルチック艦隊を送り込み
日本の海軍を殲滅させ、
日本海を制し、旅順港への兵站供給を絶つ
という戦略。

海軍を指揮していたのは東郷平八郎

バルチック艦隊を
ウラジオストクに着く前に全て沈めてしまおう
という作戦を立てる

バルチック艦隊は
途中で休息、燃料の補給ができず
長い航路を経て到着したため
船員たちがかなり疲弊していた

東郷平八郎はバルチック艦隊が「最短経路」となる
対馬海峡、日本海を抜けるルートをとると推測。

海軍はそのルート沿いにほとんどの戦艦を配置し待ち伏せした

この作戦が見事に当たり
満身創痍のバルチック艦隊と
万全の体制で待ち構えていた日本海軍が戦い、
バルチック艦隊のほとんどを壊滅した。

ウラジオストクに辿り着けたバルチック艦隊はわずか3隻
日本側はほぼ無傷
という日本の歴史的な勝利となる。

ポーツマス条約

ロシアは戦費捻出のため
国民に重税を課しており、
国民の不満は爆発寸前であった

ロシア各地で民間人の反乱が起き
戦争どころではなくなった

日本側も物資や人員が削られ
ダメージは大きかった。

アメリカ合衆国に仲介を頼み
講和条約を結ぶ
→ポーツマス条約

日本は南樺太、遼東半島を割譲する

日本は完全勝利ではなかったため
賠償金までは得られなかった。

日本国内の世論は
犠牲や我慢をしてきたのに
戦利品は中途半端な領土のみで
賠償金も得られなかったため
不満が溜まった。

日比谷焼打事件が起こった。

戦争後(1905/9~)

戦争後のポイント

  • 日本は強引な戦争路線へ
  • ロシア帝国崩壊の引き金
日本は強引な戦争路線へ

日露戦争の勝利によって
さらに領土拡大路線へと進む。

軍が自分たちの力を過信したのかのように
やんちゃな行動が目立つようになる。

最終的にはアメリカ合衆国やイギリスと対立することになり
太平洋戦争の敗戦へと繋がってしまう。

ロシア帝国崩壊の引き金

日露戦争の敗戦により
国民の不満を爆発させるきっかけを作ってしまった。

皇帝打倒の動きが強まり、ロシア帝国は崩壊となった。

ドントテルミー荒井さんからの問いかけ

あなたはもし日露戦争で日本が負けていたら
世界はどうなっていたと思いますか?

ロシア革命

【ロシア革命】わかりやすく解説!ソ連の誕生!社会主義の台頭!激動の時代をロシアはどう生き抜いた?

理解するポイント

  • 第一次ロシア革命、三月革命、十一月革命を総称してロシア革命
  • 革命により社会主義国家ソ連の誕生へ
  • ロシア帝国は皇帝が絶対的権力を持つ→国民の権利はない
  • 当時のロシアは資本主義→大きな格差・貧富の差を生む
  • 労働者は劣悪な環境で働く
  • 社会主義に希望を見出し傾倒する人が多かった
  • レーニンがロシア社会民主労働党を結成
  • ロシア社会民主労働党は過激なマルクス主義を目指す
  • 社会主義者たちは国から激しい弾圧を受ける
  • レーニンは亡命
  • 皇帝のニコライ二世が13歳のとき
    当時皇帝であった祖父が爆破テロで死亡
  • 祖父が爆弾で殺されバラバラにされた遺体を見た
    ニコライ二世は「皇帝の権力をもっと強めて
    こんな悲劇が二度と起きないようにしよう」と考える
  • ニコライ二世はアジアへ進出する→日本が危機感を抱く
  • 日露戦争が勃発し、日本が勝利する
  • ロシアにとっては歴史的大敗北
  • 敗因は第一次ロシア革命
  • 国民の不満が爆発し
    10万人の民衆が皇帝に直訴する
  • 軍隊が民衆へ発砲してしまう→「血の日曜日事件」と呼ばれる
  • 国民の皇帝対する信頼が失墜
  • 国内の各地でデモが頻発する
  • 日露戦争に出兵している兵士にも不満が高まる
  • 戦艦内の食事に出てきたボルシチの肉が腐っていた。
    水兵が不満を申し立てたら、
    上官から「塩水で洗って食え!」と言われる
  • 水兵が反乱を起こすことになる
  • 日露戦争を停止し講和会議にのぞむことに
  • 各地の労働者の中で
    ソヴィエトという組織を作るのがブームになる
  • ソヴィエトはストライキを繰り返し起こす
  • ニコライ二世は渋々議会を創設
  • 実態は見せかけの議会→さらにデモが起こる
  • 皇帝は国民のあらゆる権利を保証する「十月宣言」を認める
    →第一次ロシア革命
  • ソヴィエトも自然消滅する
  • 「三月革命」では皇帝の地位が剥奪
  • このときは第一次世界大戦の最中
  • ロシアはドイツ・オーストラリアにやられっぱなし
  • 生活が困窮し、極寒に耐える生活に
    反戦ムードが高まる
  • デモが発生→ペトログラードでソヴィエトを結成
    →自分たちが政府だと宣言する→ペトログラード・ソヴィエト
  • 国家も「臨時政府」を設立する
  • 皇帝ニコライ二世は退位する
  • 引き継いだ弟のミハイル大公は
    権力は政府が持つべきと答える
  • ミハイル大公は王位継承を拒否→帝国崩壊→「三月革命」
  • 2つの政府が存在する二重権力の状態
  • 国家運営がうまくいかず
  • 戦争を継続するか、停戦するかで2つの政府が揉める
  • レーニンがロシアへ戻ってくると
    臨時政府の打倒、即時停戦を掲げて「四月テーゼ」を発表
  • 党内にはレーニンのいる過激派ボリシェヴィキ、
    穏健派メンシェヴィキと2つの勢力が存在
  • 各ソヴィエトの代表を集めた全ロシア=ソヴィエト会議を結成
  • 「戦争継続の反対デモ」が起きる
  • レーニンは亡命
  • 国内各地でデモ、内乱が頻発
  • 臨時政府を武力で全滅→「十一月革命」
  • レーニンは人民委員会義の議長になる
  • 議長は大統領兼首相のような権限を持つ立場
  • 普通選挙を実施→ボリシェヴィキは第二党となる
  • 第一党は社会革命党
  • 議長の権限をフルに使って議会を強制的に解散させる
  • ボリシェヴィキが強引に一党独裁となり
    党名も「共産党」へ変更する
  • 国名も「ソヴィエト社会主義共和国連邦」に変更
  • 世界初の社会主義国家の誕生

ドントテルミー荒井さんからの問いかけ

あなたは、もし革命が失敗して
ロシアが社会主義国にならなかったとしたら
世界はどうなっていたと思いますか?

YouTubeで「日露戦争」の動画を比較

レーニンの生涯

【レーニン】暴君か?英雄か?何をした?最強革命家の生涯をわかりやすく解説!
  • 父、兄の影響で自由、平等、社会主義という思想に傾倒する
  • 一つの目的(革命)のために手段を選ばず強引に進める
  • 苦しい生活にあえぐ国民の代弁者となって人気を得る

 

  • ソ連の建国者
  • 本名はウラジミール・イリイチ・ウリヤノフ
  • レーニンはペンネーム。ロシア語で「レナ川の人」という意味
  • 1870年4月22日、ロシア・ウリヤノフスクで生まれる
  • 実家は裕福な家庭。両親は共に教師。
  • 父親は自由主義者。「自由と平等」を重んじる思想
  • 父親はロシア正教の熱心な信者
  • レーニンが15歳の時に父親が脳出血で亡くなる
  • レーニンは「神様は父を救ってくれなかった」
    と考えるようになり「神を信じなくなった」
  • 兄アレクサンドルは「絶対君主制」に反対する運動に参加
  • 兄は「人民の意思」という過激な政治団体に属していた
  • 「人民の意思」は政治団体というより「テロ組織」に近い
  • 皇帝暗殺計画に首謀者の一人だった兄が処刑される
  • レーニンは父と兄の死にショックを受け、
    自由主義への思いはさらに強化された
  • レーニンは、学業優秀でスポーツにも打ち込んでいた。
  • 高校を主席で卒業
  • 父の母校であるカザン大学へ入学。
  • 絶対君主制に反対する学生運動に参加する
  • 大学から退学処分を受ける
  • 内務省から直々に目をつけられ寒村に追放される
  • その間、社会主義に関する書物を読みあさって知識を深めていた
  • 当時のロシアは絶対君主制で資本主義であった
  • 皇帝、資本家と一般市民の格差がとても大きかった
  • レーニンは社会主義思想に傾倒していく
  • 当時の社会主義は色物扱い
  • レーニンはカザンに戻るが、
    すぐに革命サークルに出会う
  • そこで「マルクス主義」に出会い、陶酔するようになる
  • 社会民主党のメンバーになり幹部にまで上り詰める
  • 機関紙を発効し国民に革命を呼びかける
  • 社会民主党の四十人弱のメンバーと一緒に逮捕され、
    東シベリアへ流刑される
  • 刑期を終えたレーニンはスイスへ亡命する
  • ロシア社会民主労働党に加わる
  • スイスにいながら、機関紙や本を出版する
  • このころのロシアは日露戦争で苦戦していた
  • その余波でロシア国民を苦しめることになった
  • ロシアではデモの発生が相次ぐ
  • ロシア皇帝は国民のあらゆる権利を明示した「十月宣言」を認め
    第一次ロシア革命が起こる
  • このタイミングでレーニンはロシアに戻る
  • 資金を調達するために党に
    郵便局や列車、銀行への強盗を指示する
  • ロシア社会民主労働党内に2つの勢力に分裂する
  • 穏健派のメンシェヴィキと
    過激派のボリシェヴィキに別れる。
  • 政府からの取締りが厳しくなり、再び亡命する
  • 第一次世界大戦が勃発する
  • ロシアはドイツ軍に対して劣勢
  • その影響で国民の生活が苦しくなる
  • 大規模なデモが頻発するようになる
  • ロシア皇帝が退位し、新政府が立ち上がる→「三月革命」
  • 革命のチャンスと見たレーニンは再びにロシアに戻る
  • 1917年4月、支持者に演説し、労働者の革命を煽る
  • レーニンは臨時政府の打倒、即時停戦を掲げた「四月テーゼ」を発表
  • 旧政府を全滅させた「十一月革命」が起きる
  • ボリシェヴィキをソヴィエトの代表として
    党名を「共産党」に変更した
  • 国名も「ロシア帝国」から「ロシア・ソヴィエト社会主義共和国」に変更
  • 世界初の社会主義国家が誕生
  • 四月テーゼの公約を守るため、第一次世界大戦の停戦へと動き出す
  • 領土と引き換えに停戦する(ブレスト=リトフスク条約)
  • これによりレーニンに反対する勢力も生まれる
  • 暗殺未遂を受け、反対勢力を徹底して弾圧する。
  • 周辺国でも社会主義者たちが暴動を起こしていた。
    →コミンテルンを結成し、国外の社会主義運動を援助する
    →日本共産党もこのときに結党している
  • 暗殺未遂の後遺症や激務などで体調を崩し1924年に死去
  • 遺書にはやり残したこと、残された共産党のメンバーでは不安だ
    ということが綴られていた→志半ばでの死

ドントテルミー荒井さんからの問いかけ

あなたはレーニンがもうちょっと長く生きていたら
世界はどう変わっていたと思いますか?

ノモンハン事件

【ノモンハン事件】とは?分かりやすく解説!日本とソ連の衝突はなぜ起こった?原因から経過まで徹底解説!
  • 1939年5月〜9月に現在のモンゴルあたりで起きた
    日本軍とソ連軍の戦い
  • ヨーロッパと日本・中国のアジアを結びつけた大きな事件
  • 第二次世界大戦のきっかけと言われている
  • ノモンハンはモンゴルにある塚の名前
  • 宗教的な儀式や草原の道標として一つ一つに名前がついている
  • 「ノモンハーニー・ブルド・オボー」という塚の近くで起こったため
    塚の名前の「ノモンハーニー」が訛って「ノモンハン事件」
    と呼ばれるようになった
  • 「満州」はもとは清の領土をロシア、そして日本に
    支配された複雑な土地
  • ロシアは日露戦争の敗戦で南満州のみを日本に渡す
  • 満州は清、モンゴル、ロシアと国境を接する
  • 争いの火種が起きやすい状況
  • 満州は日本にとって重要な土地であった
  • 満州の治安を守るために陸軍を派遣。
    この軍を「関東軍」と呼ぶ
  • 隣国で革命がおき、
    清は中華民国、ロシアはソ連となった
  • 関東軍は今後の体制に危機感が大きくなる
  • 関東軍が自作自演で満州鉄道を爆破して
    満州にいる中国人を武力制圧する口実を作った(満州事変)
  • 「満州国」という国が独立
  • 当時は第一次世界大戦の影響で領土拡大には
    世界的にかなりナーバスな雰囲気であった
  • 「満州国」の実態はほとんど日本
  • ソ連はこの状況を見過ごすことができず
    侵攻を恐れ、モンゴルと条約を結ぶ
  • ハルハ川付近で満州とモンゴルの国境問題が起こる
  • この問題が大国同士の戦争の引き金になりかねない状況だった
  • 軍本部は中国と戦争を始めていて
    ソ連と戦争になるのは避けたい状況だった
  • しかし、関東軍は拡大する気マンマン
  • 関東軍は「満ソ国境紛争処理要項」を作り本部に送る
  • 関東軍は自分たちの判断で武力行使を認めて欲しかったとも言える
  • 本部はさまざまな状況がありどっちつかずの態度をとり沈黙
  • 関東軍はこの沈黙を「ちょうどよくうまいことやってくれ」と解釈
  • 第一次ノモンハン事件が勃発→すぐにソ連VS日本という構図になる
  • ソ連、モンゴル軍が撤退したことで
    第一次ノモンハン事件が終結
  • 本部としては関東軍はやりすぎなのか、
    放っておけばいいのか、意見が割れていた
  • 本部は「今回は仕方なかったけど、これ以上の拡大はやめてね」
    という煮え切らない態度をとった
  • 関東軍はソ連を徹底的に潰す計画をたてる
  • しかし、ソ連は万全の状態をそろえた
  • 関東軍はドイツとの戦争で日本に全戦力を
    振ることができないと考えていたが、それが誤りだった
  • 独ソは裏交渉で戦闘を停止し、
    ソ連は多くの戦力を日本に振ることができた
  • 2ヶ月続いた戦闘は日本が押し返され
    2万人もの被害を出した→第二次ノモンハン事件
  • 本部は作戦を中止する命令を送る
  • ソ連は独ソ不可侵条約を結んでいたが
    ドイツがポーランドに侵攻
  • 日本はソ連と停戦交渉するが、
    ソ連は西側に集中したいので
    日本側にとっては大きな損失はなかった
  • 日本は「負けて兜の緒を締める」
    「大国ソ連の強さを身に染みて感じる」
  • ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発する
  • 国の西側に軍隊を集めたいソ連と
    ソ連と対立したくない日本で
    日ソ中立条約を結ぶ
  • ソ連は中国の味方をせず
    日本はイギリスの味方をしない
    という雰囲気なった
  • 日本はアメリカとイギリスに宣戦布告し
    戦場はアジア、太平洋へと広がることになる

ドントテルミー荒井さんからの問いかけ

あなたは、もし本部が関東軍に停戦命令を出さず
この時点でソ連と日本が全面戦争になっていたら
世界はどうなっていたと思いますか?

北方領土問題

【北方領土問題】元東大生が分かりやすく解説!なぜロシアと揉めているのか?歴史を知れば真実が見えてくる!

詳細はこちらの記事に記載しています。

 

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今日も真剣な顔で撮影しております。が、真面目なのは上半身だけです #半ズボン

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