【ドントテルミー荒井】大人の教養TVで学ぶ「第一次世界大戦」&「第二次世界大戦」【歴史】

ドントテルミー荒井

 

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大人の教養TVで学ぶ「第一次世界大戦」&「第二次世界大戦」

第一次世界大戦

【第一次世界大戦】東大生が解説!なぜ起こったのか?どのように決着したのか?経過から戦術まで徹底解説!

1914/7/28~1918/11/11にヨーロッパを中心に起こった戦争

日本やアメリカも参加している

戦争前(~1914/7/28)

産業革命

18世紀〜19世紀に産業革命が起こる

イギリス、ドイツ、フランス、イタリア
ロシア、オーストラリア、アメリカ、日本など
急速に発展した国々が現れる

これらの国々が世界的に力を持っていた

ドイツ帝国の外交戦略

ドイツ帝国は皇帝がヴィルヘルム1世のときに
領土を拡張しようとする

1866年にオーストリアと戦争して勝利し、
1871年〜1872年にフランスと戦争して勝利し
領土と賠償金を得る

ドイツはフランスからの報復を防ぐため
周辺国と中立条約や同盟関係を結び
フランスと戦争になっても有利になるように
フランスを孤立させていく

1887年、ロシアと再保障条約を結ぶ

再びフランスと戦争になっったときに
当時、国境を接しているロシアが
フランスと手を組んで
左右から挟み撃ちにされるのを防ごうとした

1882年、オーストリア=ハンガリー帝国(以下、オーストリア)、
イタリアと三国同盟を結ぶ

16年前にオーストリアと戦争(普墺戦争)をしたが
領土や賠償金は請求しなかったので
遺恨は少なかった。

イギリスの「栄光ある孤立」

イギリスは、どことも同盟を組まない
「栄光ある孤立」という方針をとっていた。

ドイツとイギリスは同盟は結んでいなかったが
友好関係は保たれていた。

フランスの孤立

ドイツは産業革命ができていない国々とも
貿易を積極的に行い、経済的依存を強めていった

フランスは産業革命に成功した先進的な国とは
同盟を組めなくなり、
先進的でない国もドイツを友好的に見ていたので
ヨーロッパの中で孤立することになった

ドイツの領土拡大へ方針転換

1888年、ドイツはヴィルヘルム二世へ皇帝が変わる

ヴィルヘルム二世は汎ゲルマン主義をかかげる。
これはゲルマン民族(ドイツ人)が一番優れた民族であるという思想。
この思想を元に領土拡大へと舵を切っていく。

1890年、ロシアとの再保障条約を破棄して
バルカン半島に進出し、地中海や黒海に貿易路を増やそうとした

ロシアは再保障条約でアジア方面への勢力拡大に
力を入れていたが
ドイツに条約を破棄されたことにより
ヨーロッパ、特にドイツに対して警戒心を強めていく

中立条約の破棄=あなたと戦争をしたい
という意味になる。

バルカン半島はロシアにとって
積極的に貿易を行っていた地域

そこにドイツの割って入ってきたので
経済面でもドイツとの関係が悪化する

ドイツはアジアにも積極的に進出
アジア人支配も狙っていた

イギリスが清の植民地を増やしていたので
ドイツの進出は大きな不信感を与えることになった

3B政策,3C政策

ドイツは中東にも進出しようと
3B政策を行ってきた。

  • ベルリン(ドイツの首都)
  • ビザンティウム(トルコの首都)
  • バグダッド(イラクの首都)

この3都市を鉄道で結び、
ドイツ製品を輸出しようとする政策

イギリスは3C政策をとってきた。

  • カイロ(エジプトの首都)
  • ケープタウン(南アフリカの首都)
  • カルカッタ(インドの都市)

この3都市を鉄道で結び、
イギリスの製品を輸出しようとする政策

3C,3B政策はルート上ぶつかることとなり
先にやっていたイギリスの3C政策に、
後からドイツが割り込んできた形となった。
イギリスは不快感をもった

イギリスは軽工業
ドイツは重工業が発展。
利益が高いのは重工業なので
輸出で得た儲けを軍備拡張に回しやすい
イギリスにとっては警戒心を高めることとなった

フランスの好機

フランスにとっては
またとないチャンス

フランスはロシアに接近して
1891年に露仏同盟を結ぶことができた

栄光ある孤立という戦略ととっていた
イギリスもドイツの膨張政策を止めるために
栄光ある孤立を捨てて日英同盟を結んだ

フランスも植民地を増やしていくため
1904年にイギリスと英仏協商を組んだ

ロシアは日露戦争敗戦によりアジアからドイツへの対抗に変換
イギリスは清との領土争いにロシアが撤退したことから
1907年にはイギリスとロシアが英露協商を組んだ

こうして、フランス、イギリス、ロシアで
三国協商が出来上がっていった

ドイツVS三国協商という
ドイツに対抗する構図が出来上がっていった

戦争中(1914/7/28~1918/11/11)

サラエボ事件

ドイツの同盟国であるオーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを占領

セルビアは自分たちが占領されるのではないかと疑念を持つ

オーストリアの皇太子フェルディナンドは妻のゾフィーと一緒に
1914年6月28日に、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに
軍の視察ために訪問。

ボスニア・ヘルツェゴビナ占領に反発していた
セルビア人の青年たちがテロリストを結成。

そのテロリストの一人がフェルディナンドとゾフィーを暗殺する

これに激怒したオーストリアがセルビアに対し
10項目の無理難題な要求を突きつける

セルビアは第5、6項の2項目だけは譲れず保留

第5項は、軍や警察関係にオーストリア人を混ぜる
第6項は、今回の暗殺事件をオーストリアの裁判にかける

オーストリアは1914年7月28日にセルビアに宣戦布告をする

三国同盟を結んでいたドイツはオーストリアを支持

セルビアと友好関係を築いていたロシアはセルビアを支持
ロシアとしてはこれ以上にドイツ、オーストリアにバルカン半島に
進出されると輸出先をドイツに取られてしまうと考えた。

8月1日、ドイツはロシアに対して宣戦布告をする
8月3日、ロシアの同盟国であるフランスにも宣戦布告をする

第一次世界大戦開戦

第一次世界大戦の幕が開けた
ドイツ・オーストリア VS ロシア・フランス・セルビア

ドイツはフランスを攻撃する場所を増やすために
ベルギーとルクセンブルクに通行要求をする

ベルギーとルクセンブルクは中立を宣言していた
戦争協力になるという理由で通行を拒否

ドイツはベルギー、ルクセンブルクに宣戦布告をする

イギリスはベルギーとロンドン条約を結んでいた
この条約はベルギーの独立と中立を守るもので
この条約によりイギリスは8月4日にドイツに宣戦布告をする

日英同盟を結んでいた日本も参戦する
イギリスの植民地であったオーストラリアも協商側に参戦

セルビアと領土争いをしていたブルガリア
ロシアと関係が悪かったオスマン帝国(現トルコ)は
三国同盟側で参戦

アフリカの植民地でも争いが起こる

三国同盟の一員であるイタリアは
オーストリアの領土問題もあり、
当初は中立を示していた。
イギリスから戦争に勝利したら
領土問題で味方になると説得され協商側で参戦

ドイツ、オーストリア、ブルガリア、オスマン帝国
VS
イギリス・フランス・ロシア・セルビア・日本・オーストリア・イタリア
という構図になる

ドイツ戦線

ドイツ東側戦線では
現在のポーランドでロシアと激突する

ロシアの作戦を見抜き
ドイツは戦況を優位に進め勝利

ドイツ西側戦線では
フランスの領土に侵攻して
パリから170kmの位置まで軍を進めた。

フランスは国中の自動車を集め
ドイツの予測を超える速度で
兵士をパリに運んだ

ドイツはパリを目前しながら
それ以上、兵を進めることができず、
イギリスの援軍もあり、
撤退することになった。

機関銃、飛行機、毒ガス、戦車、潜水艦という新型兵器登場

機関銃を有効に使うため
各国が塹壕を作り、待ち伏せをする作戦をとるようになった
そのため、戦争が長期化することになった

飛行機で空から塹壕や兵士数などを視察、
機関銃や爆弾で攻撃
しかし精度が高くなく、
勝敗を左右するほどの力はなかった

毒ガスは空気より重いため
塹壕の攻撃に効果的であったが、
ガスマスクの開発により
戦況を大きく左右するほどの影響はなかった

戦車はイギリスで
銃弾をはじき、塹壕を突破するために
開発されたが
泥に入ると動かなくなる、
部品の確保が難しい、故障しても直せない
などまだ不備も多く
戦況を動かすには至らなかった

潜水艦は相手から動きが見えない
船に気づかれずに攻撃できる

ドイツは無制限潜水艦作戦を実行し
民間の船を含めて洋上に浮かぶ船を
次々と攻撃する

これがアメリカ側の参戦のきっかけとなってしまう

アメリカ参戦

20世紀初頭のアメリカでは
重工業と軽工業、両方が発展していた。

植民地も着実に増やしいていた

アメリカはヨーロッパに関与しない方針であった。

1915年5月にドイツがイギリスの客船を沈没させた。
乗船していた128人のアメリカ人が亡くなった。

また、イギリス、フランスに多額のお金を貸し出していたが
劣勢となっている状況で回収できないことを危惧

1917年4月6日、アメリカがドイツに宣戦布告する

1918年、アメリカの軍隊がヨーロッパに上陸

ヨーロッパ各国は疲弊していた。
無傷のアメリカが参戦したことで
ドイツは一気に崩れた

1818年11月11日に休戦協定が調印され
協商国側の勝利に終わった

第一次世界大戦は終結

戦没者は
協商国側が約940万人
同盟国側が約710万人

突発的に発生したのではなく
戦争が起こる前に様々な出来事が積み重なった結果、起こった

戦争に至るまでの過程や
カギとなった出来事をしっかりと
覚えておくことが
戦争を二度と引き起こさないために
私たちができることです。

歴史を踏まえて
戦争に向かっていっているような行動を
とっている国に対しては
歴史の上に生きている一人の人間として
公然と非難をしなければならないのです。

ドントテルミー荒井さんからの問いかけ

現在起こっている
これ戦争の引き金になるかもしれない
戦争までの第一ステップじゃない?
と思うような国同士の出来事がありましたら
勉強させていただきたいので
ぜひコメント欄で教えてください!

YouTubeで「第一次世界大戦」の動画を比較

第二次世界大戦

【第二次世界大戦】東大生が解説!開戦までの経緯を分かりやすく解説!その時各国はどうしていたのか?(前編)

戦争前(~1939年9月1日)

パリ講和会議、ヴェルサイユ条約

第一次世界大戦終結後の
1919年1月、パリ講和会議が開かれる

戦勝国のイギリス・フランスは
敗戦国のドイツに対して過酷な条約を結ぶ
→ヴェルサイユ条約

フランスに領土の一部を渡し、
ダンツィヒの独立を認める

武器及び兵士の数を制限
兵士数は10万人以下にする
(参考:自衛隊員数 約22万人(2020年3月))

賠償金1300億マルク(現在の価値で約200兆円)
当時の国家予算の25年分
完済したのは2010年

ドイツを苦しめ、第二次世界大戦の核となる原因となった

ドイツを締め付けていく厳しい会議

戦勝国イギリス・フランスも含めて
ヨーロッパ全体が悪化していた

アメリカや日本に多額の借金をしていた

イギリスとフランスは借金で首がまわらず
ドイツは賠償金の支払いに苦しんでいる
という悲惨な状況

ルール占領

フランスがドイツの工場を占領する事件

ドイツは一時的に物が生産できない事態が発生
ドイツの経済がストップし、賠償金の支払いに支障をきたす
フランスやイギリスにも経済的なダメージが出た
ヨーロッパは泥沼状態となる

アメリカの仲裁によって、占領が解かれる

世界恐慌

1929年に世界恐慌が起こる

アメリカの株価暴落でその影響が世界に広がる

第一次世界大戦でお金を貸していたアメリカは
その利子で大きく儲けており
大量の武器や食料の輸出でも大きな利益を出していた。

アメリカの一般市民の所得が上がり、
投資がブームとなる

コカコーラ社が急速に成長、
ディズニー社を起業。

1929年に多くのアメリカ国民が
経済の先行きに不安を覚え、
大量の株が売られ始めた。

株価は急激に下落し、
多くの会社が倒産した

アメリカとの経済的な依存が強かった国も
不況となった。

この世界恐慌の各国への影響と
その後の対応を理解すると
第二次世界大戦の原因が見えてきます
イギリス・フランス ブロック経済

ドイツからの賠償金の支払いが当てにできないことがわかり
国内のポンドの信用も落ちていき
イギリス国民はポンドを外貨に変えてきた
イギリス国内のお金の量が減っていった。

フランスも同様に国内のお金の量が減っていった。

イギリス・フランスはブロック経済という政策を実施

ブロック経済は自国と植民地だけで
貿易を行う経済政策のこと

イギリスとフランスは植民地を多く持っていたので
植民地との貿易だけで十分にやっていけた

植民地で宗主国以外の国との貿易を抑えることで
イギリスとフランスは経済的に回復していき
軍備の増強も回せるようになっていった。

イタリア

開戦当初は中立の立場で傍観していたことを理由に
パリ講和会議で発言させてもらえなかった。

領土、賠償金を十分にもらうことができず
国民の不満が高まっていった。

パリ講和会議での政府の対応に不満をもち
もっと強い政府を作りたいと考えていた
ムッソリーニが台頭していく。

ムッソリーニは国家ファシスト党を結党する
支持者を集めていき首相となった

外国の貿易や投資は後回しにして
自国内でできることを着実に進めていき
第一次世界大戦の経済の混乱を立て直していった

1929年の世界恐慌でも
貿易や投資を後回しにしていたため
世界恐慌の影響をほとんど受けずに済んだ。

ムッソリーニはさらいイタリアを大きくしていこうと
アフリカに植民地を作ろうとするが
各国に非難されてしまい、断念する

特にイギリスとフランスからは
「まだ領土拡大とか言っているのか!」という
強い反発を受けた。

イタリアはヨーロッパで孤立していった

ドイツ

ドイツはボロボロになった経済を立て直すために
アメリカから支援を受けていた

アメリカもドイツに破産されると困るので
ドイツの企業に積極的に投資していた。
しかし世界恐慌により打ち切られてしまい
国内の経済は急速に悪化する

当時のドイツの失業率は40%を超えた

この状況の中、ヒトラーという政治家が台頭する。

ヒトラーはヴィルヘルム二世と同じように
汎ゲルマン主義という思想を持っていた。

ドイツ人こそが優秀な民族である!
ドイツ人こそが世界をまとめるべき!
強いドイツを取り戻そう!

という思想を持っていた。

ヒトラーは自ら政党を立ち上げる
それがナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)。

ナチスはイタリアのムッソリーニの政策に似ている

ヒトラーはムッソリーニを「私の師匠」と語るほど慕っていた
ムッソリーニはヒトラーの政治能力は評価していたが
過激な思想を持っていたので良い感情は持っていなかった

1933年にナチスは政権を獲得し、ヒトラーはドイツの首相となる。

その後ヒトラーは大統領と首相を兼任した総統に就く

世界恐慌から立ち直るために
ドイツ再軍備宣言を実施する

失業者を兵士として雇用し
失業率を大幅に減少する

ヴェルサイユ条約で兵士数を制限されていたが
公然とこれを破る。
フランスとイギリスに抗議されるも無視をする

イギリス・フランスも抗議を一旦下げ
自国の復興に集中することにした

ドイツはこのほかにも様々な政策を実施し
失業者を0にして世界恐慌から脱した

ドイツ再軍備宣言によって
軍事力が高まる。

これによって領土拡大を図り
オーストリア、チェコ、スロバキアを併合する

各国から非難の声が高まり
ドイツはヨーロッパで孤立していく

同じくヨーロッパで孤立していたイタリアに接近していく

その後、独伊軍事同盟を結ぶ

日本

日本は戦勝国となり
中国にあるドイツの植民地の獲得や
好景気が続いていた

しかし、世界恐慌により状況が一変する

貿易先はアメリカに依存していたので
経済で大打撃を受けた

貿易の相手をアジアに切り替えようとするが
ブロック経済に阻まれ、
タイ、中国、日本以外の国とは自由に貿易ができなかった。

日本の貿易は壊滅的な状況となり
自給自足ができる国になろうと拡大政策に転換する

資源が多い中国に目をつけ
植民地化を計画する

1937年7月7日、日中戦争へ突入する。
アメリカに非難されるが
日本は戦争を強行し、国際社会で孤立していく。

同じく孤立していたドイツ・イタリアに接近していく
日独伊三国同盟を結ぶことになった。

【第二次世界大戦】東大生が解説!なぜ起こったのか?どう決着したのか?ドイツを中心に世界の流れを分かりやすく徹底解説!(後編)

 

戦争中(1939年9月1日~1945年9月2日)

ポーランド侵攻

ドイツは領土拡大に力を入れていく

ポーランドはワルシャワなどの栄えた都市と
ダンツィヒの奪還のため
ポーランドを侵攻しようとする

ドイツ軍は超スピード連戦作戦を立てる

このために、新戦術「電撃戦」が生み出される
戦車を1箇所にまとめて突撃させ
その後に自動車に乗った歩兵がついていく戦術。
移動時間を大幅に短縮できた

1939年9月1日、ポーランドを侵攻する

イギリスとフランスは宣戦布告をする

イタリアはドイツ側につき、

ポーランド・イギリス・フランス
VS
イタリア・ドイツ
という構図が出来上がる

フランス降伏

フランスは手薄になった要塞を
ドイツに攻め込まれる

超スピード連戦作戦がハマり
フランスが休戦・降伏する

 

ドイツはイギリスにも攻め込む

イギリスは空中戦が中心となる
ドイツはイギリスに押され気味だった

この状況にも関わらず
ソ連にも攻撃した

当時のソ連は世界恐慌の影響を受けず
急速に成長し大国となった

このソ連を制圧すれば
石油も手に入り、イギリスも撤退すると考えた

イギリスへの軍を引き上げ
ソ連との戦争に備える

1941年6月22日、ドイツ軍はソ連に侵攻する

モスクワの近くまでドイツ軍に侵入されるも
冬まで粘り強く抵抗した。

冬のモスクワの対策をしなかったドイツ軍は
冬が過ぎるのを待った

その間にソ連は電撃戦の対策を練っていった。

1943年、ドイツは再びソ連に攻撃する

電撃戦はすでに対策されていたので
新戦術で挑むが旧戦術と同じような内容だったので
セオリー通りの方法で攻撃を防ぎ切り、
冬まで耐え凌ぐ

イタリアの降伏

国民の不満がたまり
ムッソリーニが失脚した

新政権がイギリス・アメリカに降伏した

これによってドイツは
イタリア方面にも気を配らなくてはならなくなった

アメリカ軍がイギリスに駐留し
フランスに進軍するリスクにも備える必要が出てきた。

ドイツはソ連に十分な戦力を導入することが
できなくなっていった。

ソ連は、ドイツに反撃し始める

ソ連は新戦術「縦深戦術」をとり
ドイツを圧倒、8月にドイツ軍は撤退する

ドイツ降伏

イギリス・アメリカはドイツに占領されたフランスに上陸する

激戦の末、ドイツは敗れ、撤退し
パリは解放される

アメリカ・イギリスとソ連が
ドイツに侵攻する

敗戦が濃厚となり
4月30日にヒトラーは自殺をする

5月8日にドイツは降伏し
第二次世界大戦は終わった

第二次世界大戦の犠牲者は
8000万人にも及び
書物や建造物の被害も甚大なものとなった

第二次世界大戦はその前に
第一次世界大戦というものがありながら
その戦争が起こった原因をしっかりと追求し
戦争が起こらないように反省する努力を
怠ったためにおきた戦争といえます

私たちは二度とこのような戦争が起こらないように
世界各国が考えた仕組みの中で生きています。
幸いなことに、第二次世界大戦から約80年間
世界規模の戦争は起こっていません。
しかし戦争自体がこの世からなくなったわけではありません。
小規模な戦争や、その前兆となる出来事は
いまだに起こっている。

大規模な戦争が起こらない仕組みが作れたのあれば
小規模な戦争が起こらない仕組みも作れるはずです。

この時代に生きる私たちは、
戦争に至るまでの国際情勢をしっかりと理解し
なぜそうなったのか、
そうならないためにどうすればいいのか
を考えていかなければならないのです。

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