非株式会社いつかやるでは
多くの偉人伝を紹介しています。
教科書に載らないような人物もいるのですが
この記事ではマンガや映画の題材になった人物の生涯を
紹介する動画をお伝えします。
「非株式会社いつかやる」がどんなチャンネルか知りたい方はこちらへ
マンガ・映画のモデルになった偉人伝
るろうに剣心のモデルとなった「河上彦斎」
この動画でわかること
- 真面目すぎる、融通が利かない人の不幸
- 自分の理想を追い求めすぎた人の最期
- 世間に妥協することの大切さ
- 自分の志、ポリシーを貫く生き方
「信念を貫いた人斬り 河上彦斎(かわかみげんさい)」の生涯を紹介した動画です。
「るろうに剣心」のモデルになった人物と言われている。
幕末の4大人斬りの一人
- 田中新兵衛
- 岡田以蔵
- 中村半次郎
- 河上彦斎
資料が少ないので
どこまでが真実かがわからない部分もあるので
それを踏まえて読んでください。
少年期
- 1834年、熊本藩細川家の下級武士の子として生まれる
- 時習館という藩学校で勉強に励む
- 生花・和歌をたしなむ
- 16歳の時に熊本城下の花畑屋敷の茶坊主になる。
花畑屋敷…加藤清正が遊興のために作った場所。
細川家にとってもとても大事な場所に仕えたことから
そうとうに気配りができる男だったのではないか。 - 宮部鼎蔵に山鹿流兵学を学ぶ
山鹿流が仏教・道教に基づいた兵学
日本人とは、武士とはこうあるべきだ
という思想が強い特徴を持つ
この思想に強い影響を受ける - 藩主・細川斉護と江戸に同行したり
熊本家老の付き坊主になる

偉い人にずいぶん
目をかけてもらっていたのね
尊王攘夷
- 1853年、黒船来航。鎖国が解かれる
- 河上彦斎は尊王攘夷に傾倒していく。
- 尊王攘夷とは天皇中心の政治にして
外国人を追い出そうという思想。
河上彦斎は特に尊王攘夷思想が強かった。 - 僧侶の身分を捨てる
- 藩選抜新兵に昇進
- 肥後勤王党の幹部になる
- 尊王攘夷派の三条実美に大きな期待をかけられる
人斬り
- 彼の欠点は真面目すぎるところだった
- 尊王攘夷思想が強すぎて、思想が異なる人たちを斬っていった
- ヒラクチ彦斎と呼ばれるようになる
- 剣術は我流で身につけたらしい
- 身長150センチ、肌は色白、細くて、女の子みたいな見た目
(緋村剣心のモデルとなった。) - ある日、仲間と酒を飲んでいた。
会話の中で「あいつ邪魔だな」という話になった。
河上彦斎はおもむろに席をたち、どこかへいった。
戻ってきた時には邪魔だと言っていた人の首を持ってきた
というエピソードがある - 勝海舟は河上彦斎が怖くて仕方がなかったと言われている
- 勝海舟は河上彦斎に人斬りをやめるように諭したが
彦斎は取り合わなかった
彦斎は目標のためなら冷酷になれるという人柄がうかがえる - 熊本藩が攘夷として機能しないので脱藩。
長州に行って力を溜めようとする。 - 河上彦斎が京都を歩いていた。
新撰組の近藤勇が河上彦斎を見かけると
スッと隠れたというエピソードがある - 公武合体派の佐久間象山を暗殺した
このとき、「斬っちゃいけない人を斬ったんじゃないか」
という感情に襲われる。 - それ以来、人斬りをやめることになった
- 禁門の変、功山寺挙兵、第二次長州征伐に参加
- 彦斎は熊本藩に行って説得しにいく
- 脱藩の罪で牢屋に入れられてしまう。
(熊本藩にとっては都合の悪い存在であったと推測される)
明治時代
- 河上彦斎が牢屋を出た時には明治時代になっていた
- 明治政府は近代化を推し進めていた。
- 彦斎は桂小五郎、三条実美と話し合った
「なぜ西洋化を推し進めているのか?」 - 下関戦争、薩英戦争で外国の力を知り
考えを改める出来事が起きていた。
明治政府は攘夷する気はなかった。 - 明治政府は河上彦斎が邪魔な存在になった
- 桂小五郎は視察にいく時に
河上彦斎の暗殺を命令する - 三条実美「河上彦斎が生きているうちは
枕を高くして寝れない」と言っていた - 藩命に従って「有終館」(訓練学校)を作る
- 尊王攘夷思想を持った太楽源太郎を囲ったのが
明治政府にバレて彦斎は牢獄に入れられる - 彦斎は裁判にかけられた。
その時の判事が玉乃世履だった。
玉乃はもともと尊王攘夷思想だったので河上彦斎を
ここで死なせたくないと最後のチャンスを与える - 「尊王攘夷という考えを改めれば
明治政府も助けてくれるかもしれない」と説得を試みる - 河上彦斎「御厚意ありがとう。しかし、
自分の尊攘の志は神明に誓い
同志と死生必ず背くまいと誓ったものだ
同志の多くはその誓約のもとに殉じていったのです。
今日に及んで、生死を惜しんでその役に背き
志を改めたら自分はどうなるのであろう…
徹頭徹尾一身の利害の為に
素志を改め、節を変える事など
そんな事は出来申さぬ」 - 明治4年、38歳で斬首刑に処される
感想
緋村剣心のモデルになっただけあって
とても面白い人物ではありますが
現実の世界で関わっていた人にとっては
迷惑、極まりない存在でしかなかっただろうなと。
源義経のような
ファンタジーの世界では人気だけれども
現実ではただの迷惑者、
憧れるだけで十分という人物がいます。
河上彦斎はその典型的な人物だと認識しました。
現実世界を生き抜いていくなら
多少の融通を利かせるぐらいの人間性をもっていないと
最後は斬首刑で死んだように
ろくな最後を迎えられないように思いました。
ラストサムライのモデルとなった「ジュール・ブリュネ」
この動画でわかること
- 虜になってしまうぐらいの日本に魅力があった⁉︎
- 義を尽くすことで人の心が動く
ラスト・サムライのモデルになった「ジュール・ブリュネ」
武士道に満ち溢れた熱い男
日本のために戦った軍人
日本の状況
黒船来航後、日本は討幕派と佐幕派の2つに分かれる
討幕派にイギリス、佐幕派にフランスが支援した
幕府側には西洋式軍隊の整備が遅れていた
そこでフランス軍事顧問団が日本にやってくる。
そのメンバーの中にジュール・ブリュネがいた。
ジュール・ブリュネの経歴
- 理工科の学校を卒業
- サンシール陸軍士官学校を卒業
- その後、陸軍の砲兵少尉になり
24歳でレジオンドヌール勲章を手にする - 28歳で軍事顧問団副隊長を努める
- 軍事顧問団が作った軍隊が伝習隊
伝習隊
- 伝習隊はやんちゃな人を中心に集められた
- 最強の軍隊に仕上げる
- 隊員はブリュネを慕い、ブリュネも隊員を愛していた
- 戊辰戦争に参加する
- 徳川慶喜が大阪城から逃げてしまう
- ブリュネは教え子と一緒に戦いたいと思うようになる
- 徳川慶喜にもう一度戦おうと説得するも慶喜は戦意喪失。
江戸を無血開城することなった。
軍事顧問団に帰国命令
- それでも新政府軍はさらに庄内藩と会津藩に戦いを挑む
- 会津戦争でブリュネは一緒に戦おうと決意するも
「局外中立」(日本の内戦には手を出さない)という方針から
軍事顧問団に帰国命令が出される。 - 横浜の外国人領事館に送られる。
- ブリュネは教え子と幕臣の仲間たちが忘れられず
軍事顧問団隊長とナポレオン三世に手紙を出して脱走する。 - 未来ある軍人を辞めて、一人の人間として日本人の教え子のために
戦う決意をした
函館戦争
- 榎本武揚、大鳥圭介、土方歳三、伝習隊と合流し共に戦うことになった
- しかし旧幕府軍は敗走を繰り返した
- 津軽海峡の制海権をとるために
蝦夷地に行って五稜郭を占拠しようする→函館戦争へ - 五稜郭を占拠し、函館政権を樹立
- 榎本は総裁になり、新しい軍隊「列士満」を作る
- 宮古湾海戦が勃発
- 新政府軍は攻め込んできた
- 榎本はブリュネに離脱するように説得
- ブリュネはフランスに戻されたが
フランスで裁判にかけられた - 伝習隊隊長、ナポレオン三世に書いた手紙が
新聞に掲載され、世論が味方について
大きな罰を受けなくて済んだ - 普仏戦争で軍人として復帰
- 明治天皇から勲二等旭日章を受ける
榎本が明治天皇に推薦した
感想
フランスへの帰国命令が出た後に
ブリュネは日本に止まって教え子たちと
一緒に戦うことを決意して
軍人の地位を捨てて脱走までしました。
いくら日本が居心地が良かったとはいえ
日本の何がそこまで魅力的だったのか?
フランスにはない文化や考え方があったのだと
思うのですが、
そこがもう少し詳細にわかれば
日本人の特性がさらに理解できそうです。
もともと義理人情に熱い性格だったのが
日本に来てそれが強化されたのかもしれません。
ベルセルクのモデルになった「ゲッツ」
近世ヨーロッパで活躍した鉄腕の騎士「ゲッツ」
ベルセルクのガッツのモデルなった人物と言われている。
ゲッツの生涯
- 1480年、ドイツ神聖ローマ帝国の下級帝国騎士の家に生まれる。
- 本名はゴットフリート・フォン・ベルヒンゲン。
ゴットフリートの愛称が「ゲッツ」となる - 14歳の頃、騎士コンラートの見習い騎士として仕える
- 子供の頃から血の気が多く
喧嘩ばかりして塔に放り込まれてしまう - 20歳の頃、老騎士ハンスと行動を共にする
フェーデを学ぶ。
騎士同士のトラブルを当人同士で武力で解決する権利。 - 金を巻き上げる手段にも使われていた。
- 24歳の時、右腕を失い、鉄の義手をつける。
- ケルン市の商人を誘拐してフェーデでお金を稼いでいた
- ニュルンベルグで元同僚を拉致されたことに
因縁をつけてフェーデを仕掛けた - 法的権利や財産を没収されるアハト刑を宣告されたが
フェーデをやめなかった - 畑を荒らされたことでマインツ大司教にフェーデを仕掛けた
- ホルンベルク城を入手して大人しくなる
- 45歳の時にドイツ農民戦争が起きる
- 農民団から一揆の隊長を依頼される
- 1ヶ月期間限定で受けることにした
このとき「略奪や不必要な暴力を禁じる」というルールを作った - しかし、農民たちはそのルールを守らず
ゲッツは嫌気がさしていた。 - のちに農民側についたことの責任を取らされてしまう
- 1562年、82歳でこの世を去る
- 自由に生きて大権力者に喧嘩を売りまくったゲッツは
ゲーテの戯曲にもモデルにした作品があり、
人気や知名度が伺いしれる
感想
う〜ん、なんともいえない。
喧嘩が強く、
誘拐&身代金で荒稼ぎ…
とてもインパクトのある人なのはわかりますが
当時の農民たちには
反権力の象徴としてストレスの吐け口
なっていたことで名が残っていったのだろうか。
マンガや作品のキャラクターとして面白い人材だったんでしょうね。
YouTubeチャンネル「非株式会社いつかやる」に戻る
これらの動画はYouTubeチャンネル「非株式会社いつかやる」でご覧いただけます。
非株式会社いつかやる 関連記事
女性偉人伝
第二次世界大戦の異色の軍人
マンガや映画のモデルになった偉人
日本刀解説
公式ページなど

SNSアカウント
俺が描いた絵をさもテメーが描いたようにアピールする副社長。 pic.twitter.com/GXYzMvBgiw
— いつかやるぴろすけ (@itukapirosuke) June 28, 2020
ニコニコの総合ランキングで一位となりました!
初日から入るのは初めてです!皆様本当に、本当に心より感謝申し上げます!ありがとうございました!
そして動くマザランが密かに進行中でございます!是非ご期待下さい!凄いです! pic.twitter.com/8omzAKQK98
— いつかやる社長 (@itukayaru0) September 10, 2018
youtube登録者10万人突破しましたよ~
正直、突破は夏頃になるだろうと思ったけど・・・銀盾もらうぞぉ~ pic.twitter.com/M20mouCmCl— いつかやる副社長 (@fukushachou9) May 12, 2020
コメント
[…] […]