【るーいのゆっくり科学】科学者の生涯【テスラ、アインシュタイン】

物理

 

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科学者まとめ

ニコラ・テスラ

【ゆっくり科学者解説】歴史に消された天才発明家 ニコラ・テスラ ゆっくり解説
  • マッドサイエンティストの代表的科学者
  • センス抜群、根っからの天才科学者
  • 電流戦争でエジソンと闘う⁈

ニコラ・テスラの生涯

  • エジソンの一番のライバル
  • マッドサイエンティストとしてオカルト的に語られる
  • 19世紀から20世紀にかけて活躍した発明家
  • 交流電気方式、無線操縦、蛍光灯、X線など多数の発明
  • 人工地震兵器、殺人光線気象兵器、反重力装置なども開発?
  • 1856年、現在のクロアチアに生まれる
  • 5歳で小型水車を発明
  • 8ヶ国語話せる
  • 音楽・哲学にも精通
  • 1878年、グラーツ工科大学へ進学し電気学を学ぶ
  • 小さい頃から回転する物体に強い興味を持つ
  • 大学で学んだ発電機に強い興味を持つようになる
  • 1881年、ブダペスト国営電信局へ就職
  • 誘導電動機を発明
  • 交流送電を可能にすれば送電範囲や安全性向上できるとして
    研究をしていた
  • エジソン・ゼネラル・エレクトリック社から誘いを受け就職
  • エジソンの助手として働く
  • エジソン社は直流による事業展開を行っていた
  • エジソンから発電機の発電効率を改良する仕事を依頼
    もし成功したら5万ドルの報酬をやろうと約束
  • テスラは1年かかって開発する
  • エジソンからは「君はアメリカ人のユーモアがわからなかったようだな」と言われる
  • テスラは独立する決意をする
  • エジソンは猛烈な努力家タイプ、
    テスラは天才型
  • 直感や理論で完成まで思い描き、努力によって理想に近づこうとした
  • テスラ「エジソンが干草の山から針一本を見つけようとすると
    勤勉に一本一本探し回るだろう。
    私はほんのわずかの計算と理論で
    その労力の90%が節約できることを知っているので
    エジソンの行動を気の毒に思いながら見ていた」
  • エジソンは事業家色の強い発明家
  • テスラは研究者色の発明家
  • 1887年、テスラ電灯社を設立し、
    交流による電力事業を推進
  • エジソン社とウェスティングハウス社との電流戦争が始まる
  • エジソンはあらゆる方法で妨害
  • 交流電流は主流となり幕を閉じる
  • テスラは人気科学者になり
    講演の依頼が殺到した
  • 共振に興味を持つ
  • これを利用して研究所の建物や建設中のビル、
    周囲の地面などに局所的な地震を(意図的に)起こすことに成功している
  • テスラコイルを発明
  • 無電線で電気を送電することに成功する
  • ワイヤレス送電、遠隔操縦機器、無線トランスミッターなどを発明
  • 時代を先取りしすぎた発明家とも言われる
  • 稲妻博士という異名を持つ
  • 世界システム」を計画
  • 世界中のどこへでも
    無尽蔵の電気エネルギーを送ることができるシステム
  • ニューヨークに57mの電波塔ウォーデンクリフタワーを建設
  • テスラタービンなどを発明
  • 1943年、ニューヨークのホテルで死亡
  • 亡くなった直後、部屋に残されていた技術論文や実験ノートが
    何者かに持ち去られていた
  • テスラ自身、晩年はオカルト的考え方をするようになっていた
  • 時代を先取りしてしまった故に、
    マッドサイエンティストのレッテルを貼られてしまった

ロバート・オッペンハイマー

【ゆっくり科学者解説】原爆の父 ロバート・オッペンハイマー ゆっくり解説
  • 超絶イケメン科学者
  • マンハッタン計画で原爆作りを指揮
  • ノーベル賞レベルの数多くの実績

ロバート・オッペンハイマーの生涯

  • 量子力学、宇宙物理学で大きな業績を残す
  • ロスアラモス研究所の初代所長として
    マンハッタン計画を主導
  • 1904年、ニューヨークの裕福なユダヤ人家庭に生まれる
  • ハンサムな青年実業家の父、容姿端麗な母を持つ
  • オッペンハイマーも人目を惹く容姿を持つ
  • 両親、祖母、メイド、執事、運転手など
    周りの人々に溺愛されて育っていく
  • 別荘を持ち、ヨーロッパ旅行にもいくくらい裕福な幼少期
  • 名門の学校に通い、科学・数学、語学で能力を発揮
  • 6ヶ国語を話せるようになった
  • 重度の大腸炎で一年遅れでハーバード大学に入学
  • ハーバード大学を一年早く卒業、化学の学士を取得
  • 大学の講義が退屈だったオッペンハイマーは
    図書館で物理学の書物を読み漁り
    入学8ヶ月にして物理学の教授に大学院課程の聴講を求めた
  • 化学を専攻しながらも物理学に目覚める
  • イギリスのケンブリッジ大学大学院へ留学
  • 実験物理学を専攻
  • オッペンハイマーは半田付けもできないほどの不器用
  • そんな自分が嫌でうつ病になり
    壁に頭を打ち付けるなど異常行動を起こす
  • 物理学者ニールス・ボーアと出会う
  • アインシュタイン、ラザフォード、ボーアなどの物理学者によって
    原子の存在が解明され始めた時代
  • ボーアとの出会いによって量子力学への関心を高める
  • 実験物理を諦め、量子力学に挑戦する
  • 量子力学中心のゲッティンゲン大学に転校
  • ボルン・オッペンハイマー近似という業績をあげる
  • 博士号を取得しアメリカに帰国
  • 1929年、カリフォルニア大学とカリフォルニア工科大学で準教授を掛け持ち
  • 注目されたオッペンハイマーの講義は期待外れで
    内容が難解、
    聞き取りづらい話し方
    他の教授からも批判される
  • 次第に大人気講義へと変わっていく
  • 講義は相変わらず下手だったが
    物理への情熱、
    美術・哲学・文学などの幅広い知識
    ルックスの良さ
    に魅了され、誰もが講義を二度聴講した
    と言われるほどに
  • 生徒たちからはオッピーという愛称で親しまれ
    モノマネする生徒もいた
  • 1939年には今で言うブラックホールと中性子星の存在を予言
  • まだ、ブラックホール中性子星と言う言葉はなく
    1970年代まで生きていればノーベル賞をもらっていたと言われている
  • 1938年、ドイツの科学者、オットー・ハーン、フリッツ・シュトラスマンらが
    核分裂反応を発見
  • 核分裂に伴う莫大なエネルギーの兵器利用に注目される
  • 第二次世界大戦勃発後の1942年、
    ナチスドイツなどの原子爆弾開発に焦った
    アメリカ、イギリス、カナダは
    科学者、技術者を総動員したマンハッタン計画を実行
  • 38歳と言う若さでマンハッタン計画、ロスアラモス研究所の
    初代所長に任命される
  • 宇宙物理学の研究をやめて、原子爆弾の研究に携わる
  • 優秀な人材を短期間で6000人も集め、
    研究所を立ち上げることに成功
  • 「催眠術をかけられたような説得力」を発揮
  • スピードのある理解力、鋭い分析力が強力な武器になった
  • 1945年7月16日、人類初の核実験トリニティ実験が行われた
  • 8月6日に広島、8月9日には長崎へ原爆が投下された
  • 広島、長崎の惨状を見て、ようやく自らの罪の大きさに気づいた
  • 原子爆弾が「奇襲と恐怖の兵器」であると理解した
  • 「物理学者は今こそ罪を作った、
    もはや二度とこの軛(くびき)から逃れることはできない」
  • すっかり落ち込んでしまう
  • トルーマン大統領に面会時も
    「大統領閣下、私の手は血まみれです」と言う言葉を残している
  • 原子爆弾が戦争を終結させた考えるアメリカ国民も多く
    「原爆の父」の名を冠して一躍国民のヒーローになった
  • 1947年、プリンストン高等研究所の所長となる
  • アインシュタインを部下に持つ
  • 日本の物理学者を客室教授として招き入れ
    彼らのノーベル賞受賞に向けて多大な尽力を果たした
  • 自身の贖罪の意味もあったとされる
  • 核兵器開発に関わらず、人類に核兵器が使われないよう
    政治的にも尽力していた
  • 米ソ冷戦へと突入していく
  • 1949年、ソ連も原爆実験に成功
  • アメリカも水爆開発が行われた
  • 水爆開発を主張するエドワード・テラーらに対しても
    一貫して反対を唱えた
  • 1952年にはアメリカで水爆実験が成功
  • 翌年、ソ連も水爆実験が成功
  • オッペンハイマーに「国家機密を持ち出したソ連のスパイ」
    という容疑をかけられてしまう
  • オッペンハイマーに有罪が言い渡される
  • 1954年、全ての公職を解かれ、ワシントンから追放される
  • 1956年、プリンストン高等研究所所長に再任される
  • フェルミ賞を受賞した時にエドワード・テラーと笑顔で握手している
  • 「大統領閣下、あなたがこの賞を与えるにあたって、
    いささかの慈悲心と勇気を要したことであろうと私は考えます」
  • 4年後、咽頭ガンでこの世を去る

アルベルト・アインシュタイン

【ゆっくり科学者解説】アルベルト・アインシュタイン ゆっくり解説

アルベルト・アインシュタインの生涯

  • 20世紀を代表する科学者
  • ドイツ生まれの物理学者
  • 相対性理論」「光電効果」「ブラウン運動
  • 天真爛漫でサービス精神旺盛
  • グッズ、名言集もある
  • 「イケメンで女好きな暴言家」という一面も
  • 平均的なユダヤ人一家の家庭に生まれる
  • 5歳ごろまであまり言葉を話さなかった
  • 小学校時代は「のろまな子」と思われていた
  • 暗記科目は大の苦手
  • 今であれば学習障害児に分類されていただろうと言われている
  • 9歳でピタゴラスの定理を知り、自力で証明
  • 12歳で微分積分を独学で習得
  • 軍国主義的な学校に通う
  • アインシュタインは先生たちからよく叱られる
  • 目に映るすべてのものが素朴な疑問になった
  • 一人で物思いにふける少年
  • 1894年、一家はイタリアへ引越し
    しかしアインシュタインだけは学校へ残る
  • 軍国主義的な学校をやめるため
    医師に嘘の診断書を書いてもらい、
    それを口実に学校を退学し家族の後を追う
  • 兵役義務を逃れたため、数年間は「無国籍状態」となる
  • スイスの名門チューリッヒ連邦工科大学を受験するが不合格
  • 数学と物理の成績が良かったので
    アーラウの学校で1年間中等教育を受けることを条件に
    翌年度からの入学資格が与えられる
  • 一年後にチューリッヒ連邦工科大学に入学
  • 最初の妻となるミレヴァ・マリッチと出会う
  • 熱烈なラブレターを何度も送る
  • 「君のいない人生なんて人生じゃないよ」
    「君に出会うまで僕はどうやって生きてきたのだろう」
  • その一方で大学で知り合った美女と浮気する
    入学前からの友人女性にも言い寄ったりした
  • その間もミレヴァへのラブレターは欠かさない
  • 大学でさらに物理学にのめり込む
  • 好きなことしか研究しないという姿勢のためか教授たちには嫌われる
  • 教員免許を取得し、大学を卒業
  • 2年間、定職に就かず
  • その後、スイスの特許庁で働く
  • ミレヴァと結婚する
  • 特許審査では面白いアイデアにも出会い
    忙しい職場ではないので
    夜には研究する時間も十分にあった
  • 光量子仮説」「ブラウン運動」「特殊相対性理論
    という3本の論文を出す
    単独でノーベル賞に値するものだった
  • 26歳で1905年の4ヶ月の期間で書き上げた
    アインシュタイン奇跡の年と呼ばれる
  • 1909年には特許局を辞め
    チューリッヒ大学の助教授
    →プラハ大学の教授
    →チューリッヒ連邦工科大学の教授
    →ドイツのプロイセン科学アカデミー会員になる
  • ベルリンに移住
  • 大学時代の浮気の発覚をきっかけに夫婦仲が悪くなる
  • 学会で認められていくに従い
    ミレヴァの存在が重石になっていく
  • 従姉妹のエルザと不倫関係になる
  • エルザへの手紙の中で
    「背負わなければならない十字架」
    「めったにいないブス」
    という暴言を吐いていた
  • ミレヴァは息子二人をつれて
    チューリッヒへ引っ越し別居生活となる
  • ノーベル賞をもらったその賞金を
    慰謝料にして離婚をして欲しい
    と申し出る
  • この2年後、ノーベル物理学賞を受賞
    学問上の名誉と離婚できる喜びを得る
  • エルザと再婚
  • 有名なったアインシュタインに
    女性たちからのアプローチもあり
    浮気を繰り返す
  • エルザとは離婚しなかった
  • 1922年には日本を訪問
  • 日本を気に入り、
    行きたい国は?
    との質問に「日本」と答えていた
  • 1933年に、ドイツでヒトラー率いるナチスが政権を獲得
  • ユダヤ人であったアインシュタインはアメリカへ亡命
  • プリンストン高等研究所の教授に就任
  • 第二次世界大戦へ突入
  • ドイツが原子爆弾を作っているかもしれない
    という噂を聞き
    アメリカへドイツより早く原子爆弾を作ることを進言
  • 長崎、広島へ原子爆弾が投下される
  • ニュースでこの事実を知ったアインシュタインは
    ひどく落ち込んでしまった
  • 原子科学者緊急委員会を創設、議長を務める
  • 核兵器の廃絶や戦争の根絶
    科学技術の平和利用などを
    世界に訴える
  • 1955年、76歳で生涯を終える

アルフレッド・ノーベル

【ゆっくり科学者解説】 アルフレッド・ノーベル ゆっくり解説

アルフレッド・ノーベルの生涯

  • ダイナマイトの発明
  • ノーベル賞の設立者
  • 鉄工所を兵器メーカーへ発展させ
    ダイナマイトなど多くの爆薬を発明
  • 本人は平和主義。
  • 死後には自身の莫大な財産でノーベル賞を設立した
  • 1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれる
  • 一家は貧さのどん底にいた
  • 父イマヌエルは発明家であり起業家
  • 破産宣告を受けた直後に生まれる
  • 幼少期から工学、爆発物に興味を持ち
    父から基本原理を学ぶ
  • 1837年、父がサンクトペテルブルクで
    爆発物の製造で大成功する
  • 1842年、一家でサンクトペテルブルクに移住。
    父は機雷製造を始める
  • 裕福になりノーベルには複数の家庭教師が付けられた
  • パリで科学講座を受講し、
    アメリカで4年間、化学を学ぶ
  • 爆発物の研究に没頭する
  • 戦争終結により売り上げも落ち
    父は1859年再び破産する
  • 一家はスウェーデンに帰国する
  • その後も爆発物の研究に没頭
  • 19世紀に入り少しずつ新しい爆薬が誕生していった。
  • 代表的なのはニトログリセリン
  • ニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究
  • まず起爆装置を開発
  • 金属管、雷管を開発
  • 爆発事故で弟を含む6人が亡くなる
  • 研究禁止命令が出され工場移転を余儀なくされる
  • 諦めずに研究を続け
    1866年、ノーベルはニトログリセリンを
    珪藻土に染み込ませることで
    爆薬としての機能を損わせずに安全化することに成功
  • ニトログリセリンと珪藻土を組み合わせて作られたのがダイナマイト
  • 危険すぎる爆薬を安全に取り扱えるようにした
  • 土木作業の効率が大幅に向上
  • ダイナマイト製造を事業化
  • 50か国で特許を取得、100近い工場を持つ
  • 世界の富豪の仲間入りを果たす
  • 1875年、ダイナマイトよりもさらに安全で強力な
    ゼリグナイトを発明
  • 採掘や土木工事が効率的になったが
    爆弾や兵器として用いられた発明で富を築いたため
    批判の声も一部からあがっていた
  • ノーベル自身も発明を平和利用に限り
    軍事利用反対を呼びかけていた
  • 兄のリュドビックが死去した際
    新聞社が間違えてノーベルの死亡記事を出してしまった
  • 「死の商人、死す」
    「可能な限りの最短時間で
    かつてないほどの大勢の人間を殺害する方法を発見し
    富を築いた人物が昨日、死亡した」と報道
  • この記事をきっかけに
    自身の死後の評価について気にするようになった
  • ノーベルは財産の大部分を充てて
    顕著な功績を残した人に毎年授与するノーベル賞
    設立することを遺言状に残した
  • 設立にあてたお金は500億円ほど
  • 1896年に脳出血で倒れ、3日後に亡くなる

 

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