世界史を理解する上で
まずは大まかな流れ
大局観を知ることから始まります。
その大局観を知るのに
とても興味深いのが
なぜ日本と西欧だけが繁栄したのか?【文明の生態史観・地政学】
という動画です。
こちらは西欧・日本と内陸部の2つに分け
政治制度や経済発展がこの2つの地域が
それぞれの事情で歴史が刻まれていった様子が
わかりやすく説明されています。
はじめての方はこちらへ
日本と西欧だけが発展できた⁉︎理由
なぜ日本と西欧だけが繁栄したのか?【文明の生態史観・地政学】
これは中国やロシア、イスラム諸国に民主化が到来するのかどうかとも関わって来ます。
概要欄より引用
第一地域 → 西欧と日本
第二地域 → ユーラシア大陸
(この中に南アフリカ、オセアニア、アメリカ大陸は含まれていません。)
世界のこの2つにわけで
人類が発展した歴史を
第一地域、第二地域を対比する形で
説明しています。
各地域がたどった国家の歴史、
発展の経緯が似通っているというのが
面白いところです。
そういう見方もできるのか、
という大きな大局観を得ることができます。
文明の生態史観
この興味深い動画を展開する元となった
書籍になります。
著者の梅棹忠夫さんについては
下記のよう記されていました。
梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 – 2010年7月3日)は、日本の生態学者、民族学者、情報学者、未来学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授、理学博士(京都大学、1961年)。従三位勲一等瑞宝章。日本中東学会初代会長を務めた。
1963年に発表した「情報産業論」はセンセーションを巻き起こした。今では当たり前の言葉になった「情報産業」という言葉を初めて用いた[1]。
1964年には自身を中心とした若手研究会による私的研究会「万国博覧会を考える会」を発足。小松左京が万博に参加するきっかけを作った[2]。
「京大式カード」の生みの親でもある。
日本における文化人類学のパイオニアであり、梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開し多方面に多くの影響を与えている。京大では、今西錦司門下の一人であった。生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。
代表作『文明の生態史観』の他、数理生態学の先駆者(オタマジャクシの群れ形成の数理)でもあり、湯川秀樹門下の寺本英が展開した。さらに、宗教のウィルス説を唱え、思想・概念の伝播、精神形成を論じた[注釈 1]。梅棹はその後も宗教ウイルス説を展開し、後継研究もあり一定の影響を及ぼす[注釈 2]。宗教ウイルス説は、文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくという遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎の一つである。
梅棹は青年期より登山と探検に精を出し、数多くのフィールドワークの経験からB6カードを使った情報整理法を考案、その方法をまとめた『知的生産の技術』はベストセラーになった[3]。モンゴルにフィールドワークに出かけた直後に原因不明の視力障害を患い、64歳で両目とも失明するが[4]、失明後はそれ以前よりも多数の著作を残した[3]。
Wikipediaより引用
とてつもない偉大なお方だというのは
わかりました。
一度、目を通してみようかと思います。
感想
一つの捉え方としてすごく面白いです。
もちろん世界全体をまとめてしまうと
それに伴う例外は出てきてしまいますが、
それはどんな場合でも起こります。
こうやって一貫性を持って論理を組み立て
説明できるのがすごいです。
こうやってみると
日本は絶妙な好位置にあって
この地の利を得て
現代の生活を得ることができているのだと
感じることができます。
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