【大愚和尚の一問一答】「布施」と「愛語」を注いだ結果、無二の親友ができる

大愚和尚の一問一答

「大愚和尚の一問一答」の記事を書く目的

必要とされる方への橋渡し

YouTubeは解決したい、知りたい目的の動画を探すのに不便
過去にあの動画をもう一度見たいと思っても
どの動画だったか分からなくなる時があります。

過去にあの事を話していたのを
もう一度聞きたいと思っても
会話の内容までは検索機能が及ばず
膨大なコンテンツから探せないことがあります。

YouTubeは特に目的もなく
「何か面白い動画ないかな」
という心境で見るのには
とてもいいプラットフォームです。

しかし、順番通り系統立てて視聴したり、
特定の分野だけを視聴したいときには
あまり得意ではないプラットフォームです。

もちろん、再生リストという機能がありますが
事足りているとは個人的に感じてはいない部分があります。

以上の観点から、
誠に勝手ながらテキストと当方の主観や感想を
混ぜた記事で検索されやすい記事になればと考えています。
それによって動画への認知につながり
救われる方へ繋がればと願って書いています。

自分自身の心の整理

自分ごとの目的で申し訳ありません。
生きていていろいろと浮いたり沈んだいるすることもあり
過去の自分を大愚和尚の動画で
振り返り、検証をさせていただいていることが多いです。
思考の整理をさせていただくために
まとめています。

多少の主観や感想も語らしていただいております。
私なりに何かの役に立てばと思って記述しております。
もし感想や当方の考えに共感が持てなければ
退出されることをおすすめします。

ご関係者のみなさまへ
表現や内容でもし気になる点や問題点が
ございましたらお伺いさせていただきます。
お手数でございますが
フォームにてご連絡いただけば幸いです。

読者の方も
もし、どうしても気になることが
ある場合はフォームから
「優しく」つぶやいていただけると
助かります。

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人間関係のご相談

誰でもできるより良い人間関係の作り方

誰でもできるより良い人間関係の作り方

ご相談内容

相談の要点

  • 22歳女性からのご相談
  • 現在、大学生
  • 浅い人間関係しか作れなかったことに悩んでいる
  • 自分の悩みを打ち明けるような友達がいない
  • 人と深くかかわるのが苦手
  • 本当の自分をさらけ出して
    友達と接したことがない
  • これまで友達を大事にしてこなかった
  • 過去の過ちを思い出して
    自己嫌悪に陥っている
  • 「友達がいなくても大丈夫」
    と思っている自分もいる
  • 私はどこかおかしいのでしょうか?

私はいま大学生なのですが
浅い人間関係しか作れなかったことに
悩んでいます。

学校内で過ごす
仲の良い友達はいますが
自分の悩みを打ち明けたり
気軽に連絡を取り合う友達がいません。

仲良しの友達は卒業するたびに
数年で疎遠になってしまいます。

おそらく小さい頃の転校経験が
トラウマになっており
ベタベタした付き合いや
人と深く関わるのが苦手で
無意識にそういう関係を
避けているのだと思います。

嫌われたくないという思いが強く
本当の自分をさらけ出して
友達と接したことがありません。

一人で過ごすのが苦にならず
むしろ好きなので
特に気にしていなかったのですが
SNSを始めたことにより
周りの友達が昔からの友達と
とても親しくしていることを知りました。

そして、なぜ私は人と深くかかわって
こなかったのか。
友達を大事にしてこなかったのか。
友達がいないのは私の性格に問題があるからではないか。
などと、日々悩むようになりました。

実際、高校生までの私は
自己中心的で身勝手な性格だったと思います。

最近では過去の友達関係で犯した
たくさんの過ちを思い出しては
自己嫌悪に陥っています。

もうすぐ大学を卒業し社会人になります。
今、仲良くしている友達も浅い関係なので
きっとすぐ疎遠になってしまう気がして
寂しい気持ちでいっぱいです。

「社会人での友達作りは難しい」と
両親から聞き浅い関係しか作れない私は
将来一人ぼっちになってしまうのではないかと
不安でたまりません。

しかし、一人で過ごすのが好きだから
「友達がいなくても大丈夫」と
思っている自分もいて
自分が自分でよくわかりません。

友達がいない、
長く続かない私は
どこかおかしいのでしょうか?

特に学生時代の友達は一生モノだと聞くので
学生時代に良い友達関係を築けなかった私には
問題がある気がしてなりません。

そして今こんなに人間関係で悩んでいて
これから生きていけるか不安です。

よろしくお願いいたします。

友達の深さや数は
あまり気にしなくてもいいような…
自分のありたい姿に
近づいているならいいんじゃないかな

将来、自分が一人ぼっちになるかも
と思ったら確かに不安。
ただちょっと距離感を空けたいというだけで
心配なさそうな気がするけど…

人はなぜコミュニティや友達を作るのか?

相談者は
人生を幸せに生きていくということに
欠かせないとても大事なことに
今、気づかれたんだなと

というのが質問を読んで
最初に感じたことです。

相談者のお悩みに深く入っていく前に
前提として
人間が友達を作るということ
何のためにしているのか?
ということを明らかにしたいと
思います。

これは友達に限らず
私たちがなにかのコミュニティを作る。
コミュニティに所属する。
家族もそうですし
近所との友達とか
「なんとか会」とか
世の中には面白いコミュニティが
ものすごくたくさんあります。

例えば私はオートバイに乗るんですけれど
バイクで学生時代とかツーリングを
日本のいろんなところをツーリングをしたときに
バイク仲間というだけでも
こういうスタイルのバイクを
乗っている人たちの仲間
この車の車種に乗っている人たち
だけのコミュニティとか
本当にいろんなコミュニティがあります。

私たちは学校もそうですし
会社もそうですし
家族もそうですし
友達の関係とかサークルもそうですし
人間はありとあらゆるところで
いろいろなコミュニティを掛け持ちして
生きています。

これ「友達」という言い方とは
違うんですけれども
全部友達含めて
何のためにそういうコミュニティに属したり
コミュニティを作ったりするのか?
というと、

 

全部、自分のためなんです。

 

 

人間にとって
一番大切なのは
自分なんです。
自分が自分一人では
生きていくことができない。

「人間」という字は
「人の間」と書きますね。
「人」という字も二人寄り添っている
支え合っているという形を書きますね。
人間は一人で生きていくよりも
他の人と助け合って生きていく
ということによって生きやすくなる。

そのことによって
このか弱き命というものを
厳しい自然環境の中で守っていくことができる

ということで本当に
自分が一番大事な自分を守っていくための
戦略として
コミュニティを作ったり
仲間を作ったり
ということを
人類の進化の歴史の中で
するようになってきた
ということです。

ですから相談者が
「私は自分で別に友達なんかいなくても
生きていくことができるわ」
と思っていて実際
今は自分一人で部屋にこもって
生きていくことというのができる時代なんです。

でも長い目で見て人生というものを
考えたときにはやっぱり
たった一人では生きていけない。

自分が健康で元気で
特にまだ学生さんのうちは
そういう「一人で自分も生きていけるわ」
という感じがあるかもしれないけれども

けがをした時
病気をした時
あるいは自分がどうしていいか
分からなくなったとき

必ず誰かに支えてもらって
生きるということを
避けて通れないときが来ますし
また、そうした方がよりよく
生きることができるということです。

とにかく人間というのは
一番かわいい自分を
より良く生かしめるために
仲間を作る必要があるということです。

他人の中に己を見よ

お釈迦様の教えの中に

他人の中に己を見よ

という言葉があります。

これは私は
良好な人間関係を築いていく上で
人との関係を育てていく上で
見逃せない教えだな
と思っています。

他人の中に己を見よ

一見何の変哲もないような
言葉なんですけれども
人間はとても自分勝手な生き物です。
私を含めて人というのは
さっき言ったように
一番自分のことがかわいい。

子育てで
「自分の大事な子供は
自分よりも大切なんだ」という
お母さんですら
自分のことがかわいい

だから自分がこんなに
自分勝手に自分のことを一番大切に
思っている自分というものがいる。
他の人も同じように自分のことがかわいい。

だからすべての人が
自分以外の人が攻撃されるのは
自分以外の人がイヤな思いをするのは
いいんです。

でも自分が傷つけられる
自分がイヤな思いをするのは
嫌なんです。

みんな自分にとって
心地良い言葉をかけてくれたり
自分にとって有利なことを
提供してくれる人を「優しい」と呼びます。

でも他人が不利な扱いを受けていても
それは自分のことではないからいいんです。
というように人間はみんなすごく自分勝手で
自分がいい思いをして
自分がイヤな思いをしなければいい
という身勝手な生き物だということを
他人の中に見ている。

ということを考えたときに
人間関係の極意というのは
自分には嫌なことをされたら嫌なわけです
それでいて自分を助けてくれる
自分にとって心地良いものを提供してくれる
心地いい言葉をかけてくれるという人は
大切にしたいわけです。

ということが分かったら
他の人も同じように思っているので
他の人が傷つくこと
嫌がること
それをやめて
他の人が喜ぶこと
ということを行う。

これが人間関係のシンプルな原則です。

これは友達作りに限らず
商売でうまくいっている人も
そうですね。

能力は同じでも
より売れる人とより売れない人
同じような規模の同じような製品を
提供している会社でも
伸びていく会社と
伸びない会社
何が違うかと言ったら
お客さんの喜ぶ商品というものを見つけて
サービスを開発して
提供している。

よりお客さんが喜んで
使ってもらえるものを提供している。
それだけの違いです。

それをどこに見つけるのか?
と言ったときに
自分が作りたいもの
自分が提供したいものを
提供するのではなくて
お客さんが欲しいモノを売っている。
お客さんが欲しいサービスを提供している。
そこが流行るわけです。

ということでお釈迦様の教えである
「自分の友達をどういう風にして
作っていったらいいのか?」というときの
人間関係の核になる極意というのは

他人の中に己を見よ

ということ。
これを理解して欲しいと思います。

相談者の問題点

ご両親から
「学生時代の友達というのは一生モノだよ」
ということを聞いている。
だから
「友達を大事にしなさい」
というのが
お父さんお母さんの教えなんだと思うんですよ。

それは正しいことなんです。
それは間違っていないことなんです。

学生時代の友達とずっと
支え、支えられてきたとか
たまに会って
「昔懐かしい学生時代の友達があるということは
歳をとってからいいわ」
と思っていらっしゃるから
たぶんそう伝えるんだと思いますが

相談者の問題は
友達というものを
学生の同級生とか
学校の友達という風にして
思い込みすぎているのかな?
と思います。

お釈迦さまは
「すべての人たちは友だ」
「友としてすべての人たちと接しよう」
という風にして教えられています。

これは動物であっても
人間であっても
一緒なんですけれども
生きとし生けるもの全部を友として
とらえなさい
ということがお釈迦様の教えです。

よく相談者の(悩みと同じ)ようなお悩みを
私も受けるんですけれども
友達は同級生だけとは限りません。

これは幼稚園とか
小学生の低学年とかだったらそうですけれども
もう大学生になったらバイトもあるでしょう。

今は一人暮らししているのか
ご両親と一緒に住んでみえるのか分かりませんけれども
バイトをしたりとか
学校に行ったりとか
だんだん社会に出ていって
社会と接点が出てくるわけです。

ですから子供の時
本当にもっと小さい学生の時は
その学校のクラスの友達とか
クラブの友達とか
大きくなるにしたがって
だんだん自分の世界というものが
広がってくるわけじゃないですか。

それで友というものが
ただの同級生だけではなくて
友と呼べる人たちが広がってくるんです。
ですから実は小学生の時や
学生の時よりも
むしろ社会人になればなるほど
友という範囲が広くなるわけですよ。

親の管轄から離れて
自分で車を運転するようになったり
自分でアルバイトしたり
仕事をしたりしてお金を稼いで
そして今まで自分が自転車でしか
動けなかったのが
電車に乗ることができるとか
それから車に乗って遠くへ行くこと
飛行機に乗って海外に行くこと
学生時代の友達は大事ですけれども
素敵な友達、一生続く友達もありますけれども

でも友を作るという意味では
大人になればなるほど
むしろ社会に出れば出るほど
ものすごく有利になっていくんです。

だから相談者の問題は
友というもの、友達というものは
「友達というものは
同級生じゃなきゃいけない」
ということを思い込んでいる。

全然そんなことないんです。

私も同級生の友達が
いますけれども
そんなに大学時代、密に関わっていた方ではない。
むしろ友達からは「友達付き合い悪いな」
と思われていた方なのですが
学生時代の友達もいます。

それ以外の学生時代にできた友の方が多いぐらい。
同級生の友の方が少ないぐらいでは
ないかなというぐらい

まず思い込みとして
「学生時代に友達を作らなければならない」
という思い込みはもう捨ててください。

そんなこと全くありませんから。
社会人になればなるほど
友の範囲が広がっていくということ。

相談者への処方箋

その上で処方箋です。
この「一問一答」で何度か出しているのですが
人間関係を良好にして
友を増やしていくための処方箋
細かいことはいろいろあるんですが
今日は二つお伝えしたいと思います。

一つは「布施」という行い

それから「愛語」という

この二つです。

布施と愛語。

これをぜひ
自分の身の回りに
相談者が関係している人たち
関係している
生きとし生けるものすべてのものに
行っていくということを
していただきたいんです。

布施と愛語

ひとつめの布施というのは
自分が与えられるものを
他に与えるということ。

何も大それたものじゃなくていいんです。
自分が持っているもの、
自分ができること。

例えば自分の知識を誰かに与える。
それから自分の笑顔でもいい。
自分の持っているものを誰かに貸してあげるとか
それから自分の時間
それから自分の労力

学生さんだとまだあるかもしれませんけれども
相談者の想像力で
いろいろと自分の貯金を切り崩してとか
自分のお金とか
まだ稼いでいないんですから
アルバイトぐらいはしているかもしれませんけれども

まだ人に与えられるほどのお金を稼いでいなかったら
お金を挙げるということではなくても
全然いいんです。
むしろお金をあげる必要はない。

でも学生さんなので時間がある
笑顔がある、自分の持っている知識がある。
たとえば外国人で道に迷っている人がいたら
それを教えてあげるのも立派な布施ですし
自分のおじいちゃんとかおばあちゃんとか
近所のおじさんとかおばさんで
スマートフォンの使い方がわからない。
せっかく買ったけど
使い方がわからない
といったら
「こうやってやるんですよ」と教えてあげるのも
若い人が高齢者の人に与えられる知識、布施であるし
とにかくいろんなことがあるわけです。

どんな人でも誰かに
自分よりも知識がない人とかに対して
助けてあげることができる。
なんでもできるわけですよ。

誰かが重いものを持つのを
妊婦さんが重いものをもって
子供も抱えてベビーカーも引いて
そうやっていて、
ちょっと困ってみえたら
「お手伝いしましょうか?」と言って
手伝ってあげたり
電車の中で席を譲るのもそう。
落ちているゴミを拾うのもそう。
何でもいいんです、布施。

そしてもう一つが愛語です。
これは人の悪いことを言わない。
そして人の良いことを
気持ちのいい言葉を使う。

そしてその人がいないところでも
その人の良いことを言って褒めるとか
それを愛語と言います。
愛の言葉というんですけれども

この布施と愛語というのは
どんな人でも
お金がない人でもできる
人間関係を良好にするための
ものすごく効果的な
シンプルでかつ効果的な魔法であり
ものすごく絶大な効果をもって
全ての全世界の
そして全部の生きとし生ける命に共通する
関係づくりの極意です。

ですからこれをバカにしないで
布施と愛語ということを着実に
友達を同級生に限定しないで
自分の出会う生きとし生けるものに対して
行っていくということです。

その結果として友ができるんです。
ですからすべての人と友になるわけではないんですよ。
布施をやって愛語をやって
全ての人と友になれるわけではないんです。

向こうも友と思ってくれたりとか
すごく深い付き合いで
一生付き合っていくという
友になるわけではないんですけれども
そういった行為をやっていくうちの
本当にわずか1%ぐらい
1%、2%ぐらいの人たちが
自分にとっての本当の友というものに
結果としてなっていくということです。

何を隠そうというか
以前、別の動画でも話したことがあるんですけれども
私も学生時代、友があまりいませんでした。
同級生と言われる人たちと
そんなに仲良くつるんでいたことはないです。
私のFacebookも一応アカウントがあるんですけれども
持っていたら友達申請していただいて構いません。
そんなにメッセージとかのやり取りをあまり頻繁には
やったりできませんけれども

ただ、友達申請がきたら
当然、SNSとかでつながるということも
歓迎しています。

だけれども私のSNSのつながりの中で
同級生として繋がっている人は
ほとんどいないですよ。
そんなに多くないです。

「私、SNSやりました」ということも
人にはあまり言っていないですし
「やってますから交換しようよ」
ということも積極的には言わないです。

だけれどもあまり返信したりもなかなか
できないので
人のSNSの投稿とかもあまり見ませんし
なかなかそれを見ている時間もないし
「いいね」とか押したことも
あまりないですし

でも友と呼べる人たちがありがたいことに
色んな所にいる。
それも年齢も年下であったり、
ずっと年上の方であったり
海外の人であったり
ということがある。

SNS以外でむしろ本当の友
SNSなんかまったく普段交流しないけれども
なにかいざとなったときに
声を掛けたら飛んで来てくださる。
あるいは私もその人のところへ飛んでいく。
というような関係の友が
一生の友というのがいます。
そういう関係はどうして出てきたのか?
と言ったら
「そういう友達が欲しいな」と思って
作ったわけではないんです。

ただ、私は自分の師匠とか
それからお釈迦様の教えとか
仏教というものを
本当に忠実にその教えに従って
生きてきましたから
それをやっていたら
知らないうちにそういう友ができた。

例えば私、学生時代に
今でも行ったら大歓迎してくれる
おばちゃんが
東京にいるんですけれど
学生時代、東京の方の大学に行っていたので
色んな所へ何軒かアパートとか
転々としたんですけれども

私一時期、神奈川県の川崎ですね
川崎市の南武線という電車があるんですよ
その沿線沿いに住んでいたことがあるんです。

その南武線の沿線沿いに武蔵中原という駅があって
その武蔵中原駅の近くのアパートに
住んでいたことがあるんです。

今でも交流があるご近所さん。
当時のご近所さんがいらっしゃるんですね。
今でも行ったら多分、迎えていただけると
思うんですけれど

私、学生時代に
例えば実家からたまにお米とか
みかんとかリンゴとか果物とか
両親が送ってくれたりとか
親戚のおばさんが送ってくれたりするんです。

そうすると学生でひとりでアパートに
住んでいたりする時に
みかん一箱送ってきてくれるんですけど
みかん一箱も学生で食べませんでしょう
ですからそれを近所の人に配って歩いていたり
そうするとお返しが来て
私がアパートに帰ってくると
アパートの扉のところに
なにか作った煮物とか
カレーライスとか
そういったものがタッパーに入れて
「食べてね」と言って
近所のおばちゃんが飾っておいてくれたり
それでまた「ありがとうございました」と
私も何か作ってそれを返しに行ったりとか。

駅からアパートまでくる間に
ちょっとした畑があったりするんです。
今はずいぶんあの辺も都会に
なってしまったんですけれども

私の学生時代のころは
まだ畑があったりして
のどかなところがあったんですけど
その駅からアパートまで行く途中に
畑を耕しているおじちゃんとか
夏の暑いときだったら
コンビニでジュースを買っていったら帰りに
ジュースとかお茶をおじさんに
「暑いですよね」と言いながら渡すと
そうすると今度、別の日に
私がまた学校から帰ってきて
アパート行こうとすると
獲ったばかりのネギをくれたりするんですよ。

それでいただいたから
お返しをするということを
田舎者ですから
そんな感覚でずっとやっていた。
今でもその人たちに会いに行けば
交流が、それも友です。

とにかく会う人会う人みんな
「これは私の友達、
この人は私には関係ない」
というのではなくて
会う人会う人自分が持っているもの
手伝えること

そういったことをやっている間に
自分の住んでいる周りに友が増えていくわけですよ。

ですからよく私、学生時代に
近所の人のお子さんとか
アルバイト先の店長さんのお子さんを
アルバイト先の車で
塾に送って行ったりとかも
していましたから。

全然、プライベートとか仕事とか
私はアルバイトで
ここまでは時給だとか
時給ではないとか関係ないです。
自分が出会う人出会う人みんな
自分の友というつもりで
私のできることをやる。

学生時代の時は
本当に知識もないですし
技術もないですし
とにかくそんな自分を
例えばアルバイトに行ったら
雇ってくださる人がいるんだったら
嬉しくて仕方ないので
その人がバイトでもちゃんと仕事できないので
失敗したりするじゃないですか
それで失敗したりするものですから
なにか申し訳なくて
お返ししなければいけないということで
となってくるともう

店長さんの困っている
お困りごとというのは
全部自分ができることの範囲で
「お返ししたい。やって差し上げたい」
と思うので
車なら車の免許とかも
誰かを助けるためにというか
自分がお返ししたいがために
車の免許を取ったり
バイクの免許を取ったり
そういうこともしたぐらい。

誰か自分が友として
自分が助けたいなと思った人に
自分が持っているもの
自分ができることで
布施をしていく。

その布施をしていった中で
気が付いたらというよりも
10年たってみたら
「いまだに交流が続いているね」という人がいる。

でもそういう人たちは普段からお会いして
SNSでつながって「いいね」とか
やりあっているということではないです。

たまにご連絡するとすごく喜んでくださったり
何か困って
「そういえばあの人こういうことをやってみえたかな?
ちょっとご相談に乗っていただきたいな」
と思って連絡を差し上げると
すごく喜んでくださったり
というふうにして
とにかく友達という
「同級生が友達」という感覚を
捨てた方がいいですね、これから。

これからグローバルの社会になってきますから
外国人にだって友ができるかもしれないし
「鶴の恩返し」という話もあるくらいですから
動物だって友になる可能性があるわけです。

というふうにですね
本当に友という概念を
同級生に限定しない方がいいですね。

そして、布施と愛語
特別なことができなくてもいい
私ができることをなにか出会った人に
させていただくということの延長上に

気が付いたら
この人とすごい深い関係になっていた。
この方とすごく助け、助け合う
関係になっていた。

自分の事のように
その方の辛さ、喜びが
分かるようになっていた。

そして他人の中に己を見ることが
できるようになっていく。

それが相談者が将来、
誰かと家庭を築いたり
また子供ができたり
お仕事でどこかへ務めたり
あるいは自分で会社を立ち上げたり
といったときに全部一緒。

他人の中に己を見よ

そして私たちができる布施をし
そして私たちがはける愛語の言葉というものを
その方に投げかけていく。

その結果として気が付いたら
この人も友だった。
この人も友になった。
そしてその中で深い関係になる友というものが
人生の中でたった一人でもできたら
こんな幸せなことはないなと思います。

ということで
学生時代に同級生が友達にならなかったら
一生友達はできないという神話は
全くの嘘ではないんですけれども
非常に狭い考え方です。

だからむしろ友ができるチャンスはこれからです。

そのためのキーは布施と愛語

ぜひ、素敵な友がいつか振り返ったときに
できているはずです。
これをぜひ実践してみてください。

応援しています。

大事なポイントをまとめると

  • 相談者はとても大事なことに
    気づかれたと感じた
  • 何のために友達を作るのか?
    コミュニティを作るのか?
    全部、自分のため。
  • 人間にとって一番大切なのは自分
  • 他の人と助け合うことで
    生きやすくなる
  • 一番大事な自分を守るため
    戦略として友達やコミュニティを作る
  • お釈迦様の教えに
    「他人の中に己を見よ」
    という言葉がある
  • 人間は自分にとって心地よいものを
    提供してくれる人を大切にしたい
  • 他の人が喜ぶことを行うのが
    これが人間関係のシンプルな原則
  • お釈迦さまは
    「すべての人たちは友だ」
    と教えている
  • 相談者の問題点は
    友達というものは
    同級生じゃなきゃいけない
    と思い込んでいる
  • 友達を増やすための処方箋として
    「布施」「愛語」を提案
  • 布施とは自分が与えられるものを
    他に与えるということ
  • 愛語とは人の悪いことを言わず
    人の良いこと、気持ちの良いことを言う
  • これをやっていく内に
    1%ぐらいの人たちが
    「結果として」友になっている

できる人にとっては
当たり前のことだと思います。
でもできない人にとっては
人との関係を恐れすぎるがあまりに
長い訓練が必要になります。
今回、和尚は「布施」と「愛語」という
具体的なプログラムを提示してくれました。
これを愚直に続けていくことが大事ですね。
ちゃんとできていれば自然と
友が周りにできているはずです。

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大愚 元勝(大愚和尚) (@Taigu_gensho)さんの最新ツイート。弟子とこっそりはじめたYouTubeチャンネルですが、多くの方からの反響をいただき、YouTuber和尚と呼ばれる今日この頃です。皆さまが健やかに穏やかな日々を送れますように。合掌
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