【大愚和尚の一問一答】コミュニケーションは言葉だけではない

大愚和尚の一問一答

 

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「大愚和尚の一問一答」の記事を書く目的

必要とされる方への橋渡し

YouTubeは解決したい、知りたい目的の動画を探すのに不便
過去にあの動画をもう一度見たいと思っても
どの動画だったか分からなくなる時があります。

過去にあの事を話していたのを
もう一度聞きたいと思っても
会話の内容までは検索機能が及ばず
膨大なコンテンツから探せないことがあります。

YouTubeは特に目的もなく
「何か面白い動画ないかな」
という心境で見るのには
とてもいいプラットフォームです。

しかし、順番通り系統立てて視聴したり、
特定の分野だけを視聴したいときには
あまり得意ではないプラットフォームです。

もちろん、再生リストという機能がありますが
事足りているとは個人的に感じてはいない部分があります。

以上の観点から、
誠に勝手ながらテキストと当方の主観や感想を
混ぜた記事で検索されやすい記事になればと考えています。
それによって動画への認知につながり
救われる方へ繋がればと願って書いています。

自分自身の心の整理

自分ごとの目的で申し訳ありません。
生きていていろいろと浮いたり沈んだいるすることもあり
過去の自分を大愚和尚の動画で
振り返り、検証をさせていただいていることが多いです。
思考の整理をさせていただくために
まとめています。

多少の主観や感想も語らしていただいております。
私なりに何かの役に立てばと思って記述しております。
もし感想や当方の考えに共感が持てなければ
退出されることをおすすめします。

ご関係者のみなさまへ
表現や内容でもし気になる点や問題点が
ございましたらお伺いさせていただきます。
お手数でございますが
フォームにてご連絡いただけば幸いです。

読者の方も
もし、どうしても気になることが
ある場合はフォームから
「優しく」つぶやいていただけると
助かります。

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人間関係のご相談

コミュニケーションは言葉だけではない

コミュニケーションの本質とは? 職場での人間関係を円滑に進める方法

ご相談内容

相談の要点

  • 30代女性からのご相談
  • 飲食店で働いていたが
    30代半ばで看護学校へ行き卒業
  • 看護師として働いている。
  • 今年で2年目
  • 仕事のコミュニケーションがうまく取れない
  • 先輩からお叱りを受ける
  • 自分なりに努力をしているつもり
  • コミュニケーションの部分で
    致命的な部分があると思っている
  • 自分には無理なのではないかと思っている
  • 大愚和尚のご意見を伺いたい

短大を卒業し、飲食店で働いていましたが
将来への不安や身近な人の死をきっかけとして
30代半ばで看護学校へ行き卒業しました。

今年で2年目、
看護師として働いています。
元々働くのが得意ではありません。
仕事自体が問題ではありません。

プライベートでは
明るく楽しくコミュニケーションを
とることができますが
ひとたび仕事となると
うまくコミュニケーションが取れなくなります。

気を使いすぎて
逆に伝わらずにイライラされたり
良かれと思っていることが
裏目に出たり
色々考えて行った結果
わがままな行為だと言われたり
勘違いされていることも度々です。

今回、看護師になって
一番大切な相談や報告ができていないと
先輩にお叱りを受けます。

年齢的にも「できない」のではなく
「やらない」と判断されることが多く
「どうしてやらないのプライド?
怒られたくないだけでしょ。」
と周りから言われてしまいます。
やらないのではなく苦手なのです。

先輩が忙しく動いている中
話しかけるタイミングは難しく
さらに「だから何?今更?」
「自分でそんなことも判断できないの?」
「何が言いたいかもわからない」
という言葉を繰り返し受けて
相談自体、躊躇してしまい迷い
自分の忙しさもあり、
ついつい後回しに。

もともとネガティブで傷つきやすい性格もあり
委縮してしまい
全く自分らしく振る舞うこともできず
コミュニケーションも難しい状況です。

1年と少し働いた結果
うつ病手前までいき
部署を異動させてもらいましたが
全く違う分野からのスタート。

注意を受けることは結局同じで
それに加えてさらに
「一年やったんでしょ」
「前の部署でやったんじゃないの」
と首をかしげられる始末。

おまけに逃げ出した人というレッテルを貼られて
ここではいつまで働けるの?
と言われることもしばしば。

全ての言葉を受けとめてしまい
家に帰るとぐったりしてしまいます。

なんで私はできないのだろうと
自分を責めて
どうすればできるようになるのだろう
そればかり考えます。

対策を立てて行っても
上手くできずにダメだと落ち込むの繰り返しです。
毎日その日学んだことをまとめていて
一度教わったことができるように
自分なりに努力しているつもりです。

客観的に見て要領は昔から悪いですが
同僚と比べ仕事自体
そんなに劣っているとは思いません。

勉強自体も嫌いではありません。
ただもっと大切なコミュニケーションの部分で
致命的なところがあるように思います。
看護師はコミュニケーションがとても大切な仕事なので
自分には無理なのではないかと思っています。

もう楽になりたいという気持ちもあります。

ただせっかく頑張って看護師になったのに
自信だけが失われて終わることは悔しいです。

ぜひ大愚和尚さんの意見を伺いたいです。

ネガティブで傷つきやすい
やらないのではなく苦手
というのは周囲が言うことで
自分が言うことではないと思う。

ただ一生懸命やっているのに
そう思われていないのようなので
辛い気持ちはよくわかる。

自分でも「致命的」
と言っている。
「致命的な勘違い」を
起こしていると思う。
それが何なのかが
うまく言葉で表現できないけど。

和尚の修行時代

私たち僧侶は
ご本山というところに
修行に行きます。

この修行の時
私は禅寺の修行に行ったんですけれど
修行の時に
修行道場の入ってから
3か月間は禁則期間という
期間が設けられている。

この禁則期間は
ペラペラと話をしてはいけない
先輩から何か言われたときは
「はい」と「いいえ」
(しか言ってはいけない)
「え」「でも」という
口答えは一切許されません。

朝は4時に起き、
夜は全部の仕事が終わってから
自分たちの部屋の掃除をしたりするので
寝るのが要領の悪い人なら11時、12時とか
そしてまた朝3時、4時に起きる
という生活がずっと続きます。

お坊さんの修行というと
とても穏やかに丁寧に
みたいな感じがするかもしれませんが
このご本山といわれるところは
朝起きてから寝る瞬間まで
クタクタになるまで
働かなければいけない。

お寺の中で修行僧はみんな
ご飯を作る部署とか
電気工事とか水道工事をする部署とか
法要をより行う部署とか
いろんな部署があって
通常は3か月ごとぐらいに
異動していろんなことを
経験していく。

お寺の中のことは
全部お坊さんたちによって
運営されている。

私は料理を作るところにいたりとか
布教部といって
外から参拝客の方がいらっしゃると
案内する役をやったり
いろんなところを転々とした。

これはこういう風にやるんですよ
ということを丁寧に教えられるわけでは
全くありません。

公務帳という仕事のマニュアルを
筆で書き写すんですけど
一時でも違えばまた書き直しなんです。

その公務帳を全部書き終わって
先輩に書き終わりましたといって
持っていく。
先輩のお坊さんがそれを見て
合格を出してくれると
公務帳を全部書き終わったので
明日からはその自分の書き写した
公務の仕事ちゃんとやってください
と言われるわけです。

書き写して
次の日に書き写した通りに
マニュアル通りにやるんですけれど
マニュアル通りにやるといっても
書いてあることと実際にやることと違う。
分からないですよ。
ものすごく細かく
スリッパを脱いだらここに揃えておくとか
鐘を一個たたくにしても
たたく前に(手を合わせて)という
儀式みたいな手順があるわけです。

この手順を1個でも間違えると
罰で掃除をしたりとか
いろいろしなければいけない。

先輩から後輩へ、またその下へ
ということでずっと伝えていくことも
ありますし
マニュアルだけを読んでやれと
言われることもある。

本当に心えぐられることばかり
言われたり
ものすごい強い厳しい口調で
色んな事言われたり
修行というのはそういうものだと
私たちも思って入っていながら
そのような状態で
一日追い立てられて
布団に入ったと思ったらもう朝。

寝れてるのか寝てないのか
分からない感覚がずっと続く。
22歳の時に修行に入ったんですが
空手をやっていたこともあって
体重が75キロぐらいあって
それが1か月後には
おそらく62,3キロになっていたと思う。

一気にストレスで寝れない食べれない。
ストレスがかかっていることで
体も痩せて
常に風邪をひいて微熱が続いている
という状態で過ごしていたことを
思い出します。

だんだん精神的にも肉体的にも
弱ってきて掃除をしている時に
ちょっとしたところで大きなお寺の
お堂の扉を閉めるときに
扉に指を挟んで指の肉が半分ちぎれて
飛んでいってしまったりとか

廊下を雑巾がけするけれど
私が修行に行った道場は廊下を全部足すと
7キロぐらいある。

ものすごい広いので
雑巾が中途半端な湿り方だと滑らない。
滑らないと雑巾がけの状態で
ダーッと廊下を走るのできつい

ですから新米の修行僧の人たちは
滑りをよくして少しでも
楽にしようと思って
ちゃんと雑巾を絞らずに
水分いっぱい含ませて
拭くんです。

そうすると木が湿気ってきて
打ってある釘が浮いてきてしまう
すると雑巾がけをしている時に
全力ダッシュしますので
その釘で自分の指を切ってしまう。
ですから水とちゃんと絞って拭けって
言われるけれども
まあきついんですよ。

肉体的にも精神的にも
ボロボロになるようなことを言われたり
ということが修行の時にあるわけです。

私も最初は反発心みたいなものが
ありましたけれども
あまりに体が疲れ切って
反抗する気力もなかった。

その時にそういう姿をみて
私も仕事ができる方じゃなかったですけれども
修行に来たんだから一生懸命やろうと。

お師匠さんからも修行に入る前に
何を言われてもどんなことがあっても
とにかく耐えろ我慢しろと。
修行というのはそういうもんだ
といってアドバイスを受けて入っているので
そういうつもりで頑張ろうと思って
一生懸命やっていたんです。

けれども肉体的に精神的に
ピークがやっぱりあるわけです。

そのときに後で分かるわけですが
修行に来ていますから
絞り役と拾い役という
この人だいぶへこんできたな
きついなと言ったらすくいあげる役
という役割分担があって
絞る役の人たちは徹底的に絞るわけです。

つぶれてしまってはいけないので
そこをすくいあげてくれる人が
いたりするわけです。

自分も先輩的な立場になってみたときに
それがいいとか悪いとかではなくて
一生懸命やっている人って
わかるんですよ。

不器用で失敗ばかりする人と
要領よくずるくやる人もいます。

修行道場は
コミュニケーションが言葉ではなされない
本当に足りない言葉でスパーンと言われて
いちいち説明なんかしません。

本当に最低限の事とか
人がやっていることをみて
そしてそれを盗みながら
人がやっている動きを見ながら
自分で判断してやっていく。

とんちんかんなことをするときもあるし
やっちゃいけないことをやってしまうこともあります。

大きな失敗を、みんなに迷惑を掛ける失敗を
しでかすと懺謝(さんじゃ)といって
全部の行者を回って
皆さんにすいませんでしたといって
謝りのお杯をして回っていく
ということをしなければならない。

精神的にも肉体的にも疲弊する。
その中で私の場合は修行の時に
どうみても、これは指導の範疇を超えて
意地悪だ、いじめだというようなことを
してくる先輩もいた。

例えば何かをやっていて
なぜ自分が注意されたかわからないですけど
お前なんでこんなのやっているんだ
と言われて掃除中に正座をさせられた。

場所は外なんです。
参拝客もいらっしゃるような場所ですが
アスファルトの上に公衆の面前で
正座をさせられて
7時間ぐらい放置された。

別の先輩が通りかかって
「お前何やってんだ」と言われて
「『ここに座っていろ』と言われたので」
とずっと合掌しながら座っているんですよ。

本当に忘れられているという状態だった。
ずーっと正座をしていました。

「自分から言っとくから、もう戻れ」
と言われて戻った。
もう足の色が変わっていた。

そんなことがあったりして
なんでこんなことをさせられるんだろうとか
ということはかなりありました。

そういう中である先輩が
向こうから先輩がいらっしゃると
合掌して低頭(ていず)と言って
頭を下げてその人の顔を見ないようにして
その人が通り過ぎるまで頭を下げるという
お作法なんですけど
通り過ぎるまで頭を下げていたら
先輩が通りかかってそこで止まったんです。

その先輩が下を向いて頭を下げている私に向かって
「きついか?辛いか?」
と言われて私は「はい」と「いいえ」しか
言ってはいけないので
「いいえ」って言ったほうがいいのか
「はい」って言ったほうがいいのか
というのが分からなくて躊躇して
黙っていた。

「どうしてもだめだと思ったら
助けを求めるか闘え」といって
その先輩は去っていった。

その先輩はそのあと
すぐに修行が終わって
自分のお寺へ帰られた。

その(先輩に言われたことの)意味を
ずっと考えていたんです。

どうしてもきついことがあったら
闘えって言われた。

それから一年以上過ぎてから
同期のお坊さん仲間と
話すことがあって
あういう先輩いたよね
こういう先輩いたよね
という話をしている中で
その先輩の話が出て
私は廊下で本当に一番きついときは
どうしても理不尽なことがあったら闘え
ってあの先輩に実は言われたんだ。

別の人が「僕も言われた」
「どうしてもだめだったら逃げろ」って言われた。

いろいろそういう話をつなぎ合わせていくと
どうやらその先輩は後輩たちをみて
自分のそういういろんな厳しい修行を
くぐりぬけてきた人なので
やっぱり見てて、
「この子はかなりキツイな
精神状態もかなり厳しい状況に入っているな」
というのをみて
人によって一言ポッと通りがかりに
アドバイスをくれていたんだな。

私はついに闘うことはありませんでしたけど
その人がたぶん私が空手をやっていたことを知っていて
やっぱり修行道場の中では
修行としての厳しさもありますけれど
やっぱり人間の集まりですから
いろんな人がいるわけです。

意地悪してくる人もいろんな人がいる。
けれども一生懸命やって
どうしてもこれはと思って
もう本当に我慢ならなかったら
それはそれで闘え

その言葉にはどういう意味があるんだろう
とずっと考えていましたけれど
その言葉があったから救われた。

その一言が最後まで一応修行の期間をこなして
戻ってきたことの大きな支えになっているな
ということを今、思い出します。

相談者に伝えたいこと

30歳になられてから
新たに自分の人生設計も含めて
1つのチャレンジとして
看護師の世界に飛び込んで
ちゃんと資格も取って
実際に働かれているわけです。

おそらく他の方たちから比べると
同期として入られた方も
もっと若い人だったりするのかも
しれません。

年齢的なギャップやハンデもありますし
もともとコミュニケーションが得意でない
というところもあったりします。

さきほど私の修行時代の話を何でしたかと言ったら
私も厳しい修行をやってきたんですよということを
自慢するわけでもなく
修行道場というのは余計なことが一切語られないんです。

コミュニケーションということが
とても大事なんですけど
言葉でペラペラとコミュニケーションをとる世界ではない。

だけれども、たった一言とか
言葉があちこち器用に飛び交わないがゆえに
言葉にならないコミュニケーションがあって
それを肌感覚で感じながら
後輩たちも先輩たちも
育っていく時間を過ごしていく。
すごく特殊な空間だったなと
今思い出します。

自由にしゃべっていい
人と会話をしていい
言葉でコミュニケーションをとれる
という娑婆世界に帰ってきて見たときに
やっぱり報連相も含めて
人間というのは言葉だけで
コミュニケーションをしているわけでは
ないんだなということを
非常に感じる。

仕事ができないと言われたり
自分でも思っている人たちというのは
実はその言葉だけを見ている人が多い
ような気がする。

言葉でこう言われた
言葉でこういう風にして指示があった。
言葉でこういう風にして書いてあった。

実際、看護のお仕事の現場であれば
人の命を預かることがあるわけですから
マニュアルとしてきっちり決まっている
また間違いが許されない
ということの非常に緊迫した状況の中で
仕事をなさっていることもあると思うんですね。

だからこそ言葉とかマニュアルではなくて
肌感覚で、今、自分はこういうことを
やらなきゃいけないんだとか
今こう言う状況だから
ここでは話しかけてはいけないとか
先生がそれを求めているんだな
って言ったら自分がそれを感じて動くとか

言葉で教えきれない部分というか
その周辺の機転を利かせて
動かなければいけないということがあったり
その能力を求められているような気がする。

相談者への処方箋

コミュニケーションが職場でうまくとれないことが
もし相談者の悩みや課題であるなら

まずコミュニケーションというものは
必ずしも言葉によってのみ
なされるわけではない。

ということを相談者には
知ってもらいたい。

その上で職場で飛び交う言葉とか
その現場での用語とか
その病院でのそれぞれのルールみたいなものが
あったりすると思う。

それはできるだけ早く習得していかなければいけない。
けど、それ以上に何か言われたことだけじゃなくて
自分の肌で感じて動いてみる
よく観察する。
特に動きの良い人を観察する。
そういったことが勉強期間において
すごく重要だと思います。

とても激務だと思いますし
大変だと思います。

そういう中において
良い動きをしている人
という人を見つけて
「あの人、こうやって動いているな」
「あれがいい動きなんだ」
ということをよく観察したり

言葉では言わないけれど
パッと動ける人とか
パッと感じる人とか

大概いろんな人がいますけれども
それを認めてくれる人も
そうやって動いている人を
ちゃんと見ている人っていうのは
いるものだったりします。

コミュニケーションというのは
必ずしも話し言葉だけではないです。
書くという作業も
コミュニケーションですし
「絵」もコミュニケーションですし
いろいろなことがコミュニケーションになりうる。

これを職場があまり忙しくてしゃべって
自分の状況とか困っていることを
伝えられないんであれば
お手紙にして分かってくださる方に
助けを求めたり

こういうところが分からないので
また教えてくださいとか
いつもとろくてすみません
そういうことを書いたりして

そうやってこまめに教えていただこうと
自分はうまくできてないけれども
上手く振る舞えていないけれども
自分の足りないところを分かってて
なんとかしてそこを克服して
皆さんの力になりたいと
自分も一戦力になりたい

ということを何らかの形で
伝えようとする

創意工夫が必要ということです。

これをやらずして
自分はダメなんです
ということを言っているとすれば
それはやっぱり職場で足手まといにしか
ならなくなってしまう。

パッと簡潔に必要なことを必要なときに
ピタッと伝えることができるというのは
相当の熟練者です。

まだ3年もたっていないわけですね。
1年ようやく終わられたところであれば
当然コミュニケーションがうまくいく
ということはないと思ってください。

最低3年やってようやく
これはこういう意味があって
こういう仕事をしているんだな
ということが分かってくる。

必ずその仕事の全体像とか
その仕事のこれはなんでやっているのか
ということが分かってくると
多少小さな違いはあっても
最終的にこういうことのために
これをやっているんだ
こういうことのために
この手順を踏んでいるんだ
ということがわかってくる。

なのでうまくコミュニケーションを
とろうということを
いきなりやるのではなく

よく観察して今自分がこの中で
何をやらなければいけないのか
なんでこれをやらなければいけないのか
ということの意味を考えてみたり

それから対面でしゃべるという
言葉だけではない
手紙にしてみたり
なんとかして自分の状態、意識
うまくいかないけれども頑張ろうとしている
ということを伝えていく。

伝える工夫をする。
それがコミュニケーションということの
全体像です。

相談者に限らず
往々にして職場でうまくいかないとか
他の人とうまくコミュニケーションをとれない
という方々は
そのような傾向にあります。

言われたこととか
言葉として飛び交っていることだけに
意識があって
それでうまくいかないって
なっているんですけど

実はそれ以外のところで
もっと感じて動いたりとか観察して
やみくもにただ動くのではなくて
意味を考えて動いている。

そういった深い勉強が必要になったりしますし
実際の職場とか生活の中では
そのことが本当に重要なんです。

そういったことがお寺でも
将来的にテンプルステイといって
皆さんがマニュアルに書いていない
人間と人間との間での動きとか
調和して皆さんと動くとか
ハーモニーで動くとか
そういったことを含めて

実際に体験しながら自分の動きを修正していったり
自分の動きをもっと自在にしていったり
そんなことのプログラムも
将来的には考えています。

また機会があったら
そんなとこに参加していただいても
いいんですけれども

自分でできることとして
自分がその職場に入ったら
自分もその職場の重要な役割の一員として
そこに入っているわけですから
どうやってその職場が動いているのか
何のために今これをしているのか
その目的をちゃんと果たすために
自分が何をしなければいけないのか
どういう動きをここでしなければいけないのか
それを考える。

それがわからなければ
直接会ってというだけでなくて
それはやっぱり時間がないし忙しいですから
お手紙を書いて
それをこういうことでまた教えてくださいとか
いつもヘマしてすみませんとか言うことをして
その場でうまくしゃべろうとか
その場でうまく立ち振る舞おうとか
ということではない時間に
手紙を書いたり
それから言葉以外の部分で
何かしらコミュニケーションを自分でとれることが
工夫できたりするはずなんです。

ぜひそれを相談者の中で考えて
自分で考えてやるということが
すごく重要なんですね。

いろんな方法が考えられるでしょう。
プライベートではそれができるというのであれば
人間と人間ですから
それを少しでも応用して
職場に持ち込んでいく
少しでも自分がリラックスして
快適に働ける職場に
自分でしていく。

まだ1年過ぎたところ
2年目に入られるところだと思うんですけど
ちょっと厳しいと思いますが
3年はやっぱり踏ん張ってやってみましょう。

自分がその仕事に自分が飛び込んだわけですから
その悔しい思いとかなんとなく情けない思いというのは
非常によくわかります。

だけれどもここが踏ん張りどころだと思います。
失敗したって一生懸命やっていたら
必ず認めてくださる方がありますから
頑張ってください。

応援しています。

大事なポイントをまとめると

  • 和尚も22歳のときに
    ご本山へ修行に行った
  • 修行道場ではこれはこういう風にやるんですよ
    ということを丁寧に教えられるわけではない
  • ストレスがかかっていることで体も痩せて
    常に風邪をひいて微熱が続いている
    という状態で過ごしていた
  • 肉体的にも精神的にも
    ボロボロになるようなことを言われたりした
  • 一生懸命やっている人はわかる
  • ある先輩から
    どうしてもきついことがあったら
    闘えと言われた
  • その言葉があったから救われた。
  • 修行道場では余計なことが一切語られない
  • 言葉があちこち器用に飛び交わないがゆえに
    言葉にならないコミュニケーションがあって
    それを肌感覚で感じながら
    後輩たちも先輩たちも
    育っていく時間を過ごしていく
  • 仕事ができないと言われたり
    自分でも思っている人たちというのは
    実はその言葉だけを見ている人が多い
  • 言葉で教えきれない部分というか
    その周辺の機転を利かせて
    動かなければいけないということがあったり
    その能力を求められている
  • コミュニケーションというものは
    必ずしも言葉によってのみ
    なされるわけではない
  • 自分の肌で感じて動いてみる、よく観察する
    特に動きの良い人を観察する。
    それが勉強期間においてすごく重要
  • 自分はうまくできてないけど
    足りないところを克服して
    皆さんの力になりたい
    ということを
    何らかの形で伝えようとする
  • これをやらずして
    自分はダメなんです
    と言っているとすれば
    職場で足手まといにしかならない
  • 伝える工夫をする
    それがコミュニケーションということの全体像

話しかけるタイミングとか
本当に難しいですよね。
少し時間をおいたら
もっと早く言わないのと怒られ
すぐに伝えたら
この忙しいときに…後にしろと怒られる。
だけど大愚和尚の話を聞いていると
たしかにコミュニケーションの上手な人は
伝え方、話し方を目いっぱい考えているし
普段からの信頼関係づくりを
大切にしています。
信頼関係をおろそかにしている人が
困ったときだけ頼りにするような
態度では良い印象をもたれない。
普段の関係づくりがあるから
わざわざ言葉にしなくても
してほしいこと、喜ぶことが分かったりします。
私自身も心に響くご相談でした。

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大愚 元勝(大愚和尚)(@Taigu_gensho)さん | Twitter
大愚 元勝(大愚和尚) (@Taigu_gensho)さんの最新ツイート。弟子とこっそりはじめたYouTubeチャンネルですが、多くの方からの反響をいただき、YouTuber和尚と呼ばれる今日この頃です。皆さまが健やかに穏やかな日々を送れますように。合掌

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