【大愚和尚の一問一答】怒りほど邪魔な感情はない【怒りではなく知恵を】

大愚和尚の一問一答

「大愚和尚の一問一答」の記事を書く目的

必要とされる方への橋渡し

YouTubeは解決したい、知りたい目的の動画を探すのに不便
過去にあの動画をもう一度見たいと思っても
どの動画だったか分からなくなる時があります。

過去にあの事を話していたのを
もう一度聞きたいと思っても
会話の内容までは検索機能が及ばず
膨大なコンテンツから探せないことがあります。

YouTubeは特に目的もなく
「何か面白い動画ないかな」
という心境で見るのには
とてもいいプラットフォームです。

しかし、順番通り系統立てて視聴したり、
特定の分野だけを視聴したいときには
あまり得意ではないプラットフォームです。

もちろん、再生リストという機能がありますが
事足りているとは個人的に感じてはいない部分があります。

以上の観点から、
誠に勝手ながらテキストと当方の主観や感想を
混ぜた記事で検索されやすい記事になればと考えています。
それによって動画への認知につながり
救われる方へ繋がればと願って書いています。

自分自身の心の整理

自分ごとの目的で申し訳ありません。
生きていていろいろと浮いたり沈んだいるすることもあり
過去の自分を大愚和尚の動画で
振り返り、検証をさせていただいていることが多いです。
思考の整理をさせていただくために
まとめています。

多少の主観や感想も語らしていただいております。
私なりに何かの役に立てばと思って記述しております。
もし感想や当方の考えに共感が持てなければ
退出されることをおすすめします。

ご関係者のみなさまへ
表現や内容でもし気になる点や問題点が
ございましたらお伺いさせていただきます。
お手数でございますが
フォームにてご連絡いただけば幸いです。

読者の方も
もし、どうしても気になることが
ある場合はフォームから
「優しく」つぶやいていただけると
助かります。

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怒りの相談

怒りほど邪魔な感情はない

真剣勝負に「怒り」ほど邪魔な感情はない。持つべきは「しなやかな強さ」。

ご相談内容

相談の要点

  • 30代男性からのご相談
  • 和尚様は穏やかでしなやかな印象をうけますが
    戦うときはどういう感じになるのでしょうか?
  • 例えば理不尽なときやムカつくときなど
    どんな対応をするのか。
  • 潰してやる、殺してやるといいうような心境で
    戦ったことはないですか?
  • 自分より強い人間やパワーバランスが上の人間に
    自分が弱いゆえに利用された苦い経験がある
  • 怒りとかから来る
    強さ、戦う気持ちについて考えを聞かせてほしい
  • 愛こそが大事というような
    きれいごとはできれば聞きたくない

和尚様は勇猛心、柔軟心と仰せですが、
普段は特に穏やかで
しなやかな印象を受けます。
そんな和尚様が戦うとき
どういう感じなるのでしょうか?

空手はルールもあるスポーツですから
おいておいて

例えばどうしようもなくムカつくことや
他人、自分の弱さ
例えば、家族を狙った犯罪者が
家に突然入ってきたときも
戦うでしょうし

例えば世の中に多々ある理不尽さ
駅で順番を押しのけて
横入りする老人
自分に危害を加える人
現代社会、基本的にはすぐに口で注意したり
手を出して力で抑止する局面は
少ないと思います。

みんな、よほどのことがないと黙っているし
自分に被害があったら大変だから

でも戦うこともきっと大事だと思います。
実際に戦わずともシミュレーション等して
心中で武装して次回に備えたりとか
まるでしなやかにかわす
やさしさで包む、耐えるとかの
そういう仏教の聖人っぽいことではなくて
潰してやる、殺してやるという黒い炎を
確実にまとった戦いの局面はありませんか?

またはそんな戦いは禁忌で
右の頬を打たれたら
左も出せとかいうことを
おっしゃいますか?

私は自分より強い大人や
パワーバランスが上の人間に
自分が若く弱いがゆえに
利用されたり言いなりになって
苦しい思いをしたことがあります。

それは肥やしで
今後は同じ轡は踏まないと思っていますが
やれるならやってやる
みたいな気持ちも自分の中の
大切な強さにもなっていると思います。

怒りとかネガティブな感情からくる
強さ、戦う気持ちとかに関して
お考えをお聞かせいただければ幸いです。

個人的にはそういう力は持って
持ってちゃダメ
出しちゃダメ
愛こそが大事と
言われるのは少し嫌です。

そんなきれいごとだけだと
食い物にされたり
やられることだってあるから

とりあえず、
とても嫌なことがあったんだね

自分の世界に
浸っているかもしれない…
と感じました

貪瞋痴(とんじんち)

ダンマパーダという経典の中に
怒りに関しての一説があります。

怒りを捨てよ
慢心を除きされ
いかなる束縛をも超越せよ
名称と形態とにこだわらず
無一物となったものは
苦悩に追われることがない

仏教では「怒り」を望ましくない状態として
諫めています。

相談者の問題は何か?

まあいろいろなことが
あったんでしょうけれども
本当に強い相手と戦ったことがないということ
自分を超えるような
はるかに大きな権力とか
はるかに大きな力とか
それと本気で戦ったことがないんだと
思います。
だから悪いといっているわけでは
全くありません。
おそらく戦って戦って
自分よりずっと大きなものと
戦い続けてきた人があることにとったら
感情的には怒ってはダメ
ということがわからなくても
理性で怒るということが
いかに戦いにおいて不利になるか
ということが分かると思います。
さて何度もこの一問一答で登場していますが
貪瞋痴(とんじんち)
という三毒と呼ばれる心の毒が
仏教では説かれます。

貪り
怒り
そして
愚かさ

です。

で、この貪り、怒り、愚かさというのは
私たちの心の中に
起こってくるところの感情を
順番に実は述べているんです。

私たちは何か求めたいものがある。
その状態、そのものが手に入らないと
イライラするわけです。
それが怒りなんです。

怒りの正体というのは
恐怖と不安です。

自分が求めたい状態がある
求めたいものがある
だけどそれが手に入らない。

あるいは自分が求めたい状態が
得られなかったらどうしよう
これを失ったらどうしよう。
自分が侵害されたらどうしよう

強烈に自分が求めたい状態が
あればあるほど
それが手に入らないときに
怒りが湧いてきます。

そしてこの怒りは
なぜ湧いてくるのかというと
貪瞋痴です。

愚かであるがゆえに
怒りが湧いてくる。

だからどんな理由であれ
怒っているという状態は
愚かな状態である。

これが仏教で説明するところの
怒りの状況です。

「怒り」ほど邪魔な感情はない

私たちの心は
本当に一日の中でも
喜んだり落ち込んだり悲しんだり
怒ったり様々なな状態を行き来しますね。
ほんのちょっとのことで嬉しくなる
ほんのちょっとのことで悲しくなる
ほんのちょっとのことで腹が立つ

例えば私は格闘技をやっていましたけれども
現役の選手時代にはわからなかったことが
今分かるようになりました。

戦うというときに
最も大事なことは何か
というと自分が冷静であるということです。

もちろん適度な緊張感とか
集中力とかということは大切ですね。
けれどもそれは怒るということとは違う。

イライラしたり
早く結果を求めたり
欲を出したり
そのとたんに自分の筋肉のコントロールを失い
そして自分が本来持っている技が発揮されずに
本来の力、自分が培ってきたところの力が出ない。

これは別に格闘技に限らず
スポーツの選手も多分そうだと思います。

例えばオリンピックの舞台に立って
これはボクシングという競技であったり
柔道という競技であったり
卓球という競技であったり
スケートという競技であったり
競技は何か関係ない

でも自分がイライラしながらね
怒りの感情を持ちながら
その競技に取り組んで
最高のパフォーマンスが発揮できるかと言ったら
できないんです。

過度に力が入りすぎたり
緊張しすぎたり
気負い過ぎたり
そしてそれが高度な技が要求されるもので
あればあるほど
怒りの感情によって普段だったら犯さないような
ミスを大きく犯したり
普段だったら犯さないような
間違った判断を下したり

とにかく本気で何かにおいて成果を残そう
結果を残そうと思って戦っている時に
「怒り」ほど邪魔な感情はないんです。

これは本当に何かに対して
高いレベルで修行して
取り組んだことがある人であれば
分かる感覚だと思います。

ボクシングや柔道や空手のような
激しく相手とぶつかり合うような
競技でさえそうなんです。

怒ってキレたら終わりです。
戦うということと
怒るということは違います。

相談者がおっしゃるように
戦うという場面は
人生において避けられない
私も戦うという表現が正しいかどうか
わかりませんが勝負するときにはします。

でもその勝負するときには
その勝負の明暗を分けるのは何か
というとこれは普段からの絶え間ない
知識・技術・経験の積み重ね
勉強の積み重ね

そこにはカーッとなるという気持ちを
ちゃんと冷静に抑えるという精神的な訓練も
必要ですし
細かく自分の肉体を操作するという
肉体的なトレーニングも必要になってきます。

けれどもそこに怒りが必要かと言ったら
怒りは持ってはいけない。

というのが私のこれまでの
経験の中で確実に言えることであるし

これをですね私に限らず
おそらく本当に何かの場面で
それはビジネスにおいても
仕事においても
格闘技ということにおいても
その他にいろいろな勝負しなきゃいけない時で
ありますね。

負けないという気持ちと
怒るということは全然違うんです。

ここをごっちゃにしていると
おそらく本当に勝ちたいという場面でも勝てないし
本当に何か結果を残したいということでも
結果を残せなくなります。

いいですか
くどいようですけれど
怒るということと
戦うということは
イコールではないんです。

本当の戦いのプロというのは
感情的に怒り狂って
誰かとケンカしているということでは
ないんです。

もう少し詳しく例を挙げると
怒るという感情はその時にね
体の中に何が起きているかというと
アドレナリンが大量に放出されて
そして
実際にそのことによって
心拍数が上がり
筋肉に力が入り
戦闘状態に当然なるわけですね。
怒ると。

けれども、これが激しければ激しいほど
何が起きるかというと
スタミナを奪います。
カーッとなればなるほど
判断力を奪います。

この状態でレベルの高い相手と
圧倒的にレベルの低い相手であれば
一瞬で相手をねじ伏せることが
できるかもしれませんけれども
一撃で相手を倒せるという状態でなければ
延長戦になるかもしれない。
もっと長い持久戦になってくるかもしれない。

この時に怒るということによって
自分のエネルギーを消耗するという
段階でもう勝てません。

真剣に戦ったことがあれば
その時の自分の体の状態
そしてその時に自分に起きる心理的な状況
それが分かると思う。
いかに不利なことか。

相談者からの質問

さて、相談者の質問の中にあった
具体的な状況に対して
私だったらどうするということを
ちょっと例としてあげましょう。

いろいろなことが相談者の中で
ごっちゃになっているんですが

例えばどうしようもなくムカつくことや他人
これに対してどうしますか?

どうしようもなくムカつくことや他人
私ができる限り
当然カチンとくることがあるんです。

よっぽど今は少ないですけれども
もし本当にそういう状況になったら
黙ってその場を離れる。

そう決めているのでそうします。
ですからそれ以上
自分の怒りの感情は育つことはない。

また例えば家族を狙った犯罪者が
家に突然入ったときはどうするか?

その相手がなんとか家族に危害を加えないように
おそらく私のこれまでの経験を総動員して
おそらくその泥棒なり強盗なりを抑える。
あるいはそれが叶わないとなれば逃げる。

私は真剣に戦ってきましたからね
相手の状況、自分がどうできるかということを
ある程度判断がつきます。

もっと言うと
そのような状況にあるところで
そのような状況になるということを考えて
当然セキュリティーを掛けていたりとか
いろいろなことを想定して普段から
何にも起きないように
全て平和で何も物事が起きないと
そのようなことで生活は私はしていません。

当然地震が起きるかもしれない
火事が起きるかもしれない
強盗が入ってくるかもしれない
実際にそうやって泥棒が入ってきたり
ということも実際にあります。

でもその時どうするのか
ということを当然普段から準備して
それでもできることならば
戦い、争いっていうのを避けたい、
命を落とすということは避けたい。

だからこそそういうことに対して
できる限り普段から準備をする。
もちろん戦うときは戦いますよ。

けれどもそれは相手を殺してやろう
という怒りの感情ではない
自分を当然守り
家族を守り
ということを極めて冷静に
判断して処置を講ずる。

そのためのトレーニングを日々から
してます。
武道やってますからね。

それは決して怒るということではない

それから世の中に多々ある理不尽さ
本当にありますね。
理不尽なこといっぱいあります。
世の中は理不尽なことだらけです。

でもそれはビジネス面においても
日常生活においても
自分にとって理不尽なこと
あるいは明らかにこれ社会にとっても
理不尽なことというのが
横行しています。

でももうさんざん理不尽なことに
突きあたってきましたからね
そこに自分が力を持っていないのに
吠えたところで
何も世の中には変わらない。

そこで自分が怒り狂って
何かを殴りつけたところで
何も状況は変わらない。

そういうことを嫌というほど
経験してきました。

だからそこで怒ることはもうしない。

すこしでもその状況を
崩していくために
もしこれが本当に理不尽だと
思うのであれば
決してそれを諦めるということじゃない

それがきちんとね、
少しでもその理不尽さというものが
変わっていくように力をつけ
周りの人を巻き込み

そしてその理不尽な状況というのを
時間がかかっても
自分が変えていくということによって
何か世の中に次の一歩を踏み出せるんであれば

それは虎視眈々と
タイミングを狙いながら
その状況の改善に向けて
努力をする。

必要なことを学び
必要な手順を踏み
必要な道具をそろえ
そしてその状況を具体的に変えていくために
どうしたらいいかということを
ちゃんと位置的に論理的に考える。

そこに怒りは必要ありません。

さて

駅で並んでいる順番を
押しのけて横入りしてくる老人
そういう人がいたら

私は「どうぞ」と言うようにしています。

そもそも駅で順番待ちをするということを
できるだけ避けるような
電車の乗り方をしてますし
新幹線のチケットも
あらかじめもうスマホで取りますし
今は本当に便利な時代になりました。

切符を買うのに並んでいるというのであれば
並んでいないところ、
大概駅の反対側行ったら
そちら側が空いていたりします。

以前、私は新横浜駅で
新幹線に乗ろうと思ったら
新横浜駅周辺のアリーナか何かで
コンサートでもあったんでしょうね。

ものすごい人が並んでいて
そして切符が買えなかったということがあった。

なのでその新横浜のこの入り口の
正面の切符売り場と離れてもっと奥の方の
切符売り場に行ったらものすごい空いているんです。
わずか数十メートル移動するだけで
空いている切符売り場がある。

実はこれは世の中の縮図です。

必ずわざわざみんながあくせくと
ぶつかっているという、
そういう入口、あるいは並び口という
ところを避けていくことによって
何か違ったきっかけがあったりするものです。

別に駅に限らず
そういうものなんです。
それを冷静になって他の人と競争しながら
その道に行かなくても
行けるという方法はないかということを考える
のが知恵です。

それを私は衝突をしない
ということを決めることによって
他の道が実はあるんだということを学びました。

いろいろな確かにシチュエーションがありますね。
私たちはみんな当然自分に対しての害を避けて
そして自分にとってより良い状況を得たい。
これはみんなが思うわけです。

ですからできる限り
それがどうでもいいことであれば

私は別に悪口を言われようが
割り込みされようが「どうぞ」って
するということを

ルールとして決めている。

これが一つの怒りをそこまで増大させなくて済んでいる
方法かもしれません。

さて相談者の質問は
そういった状況に
怒りということに対して
戦うということに対して
大愚さんはどう考えていますか?

ということなんですね。
それに対しての答えは何かというと
私は怒りを持つということほど
自分の体を害し
そして求めたい状況から遠ざかる方法は
ないんじゃないかと思うぐらい
愚かなことだということを
それが教本に書いてあるから
という理由だけではなくて
自分の実体験を通して
これまで学んできました。

ですから当然人間ですもの
カチンと腹が立つこともある。
これは許せないと思うこともある。

けれども極めて波立った
自然な冷静な落ち着いた心の状態でないという
病気のような心の状態から
できるだけ早く鎮まるようにということを
意識して自分の怒りを鎮めるようにしています。

けれども決して殴り合いというわけではなくね
相手と衝突をしないで
今の状態よりもより良き状態になるためには
どうしたらいいか?

これを私は戦うと表現しています。

誰かをできるだけ傷つけることなく
誰かとできるだけ衝突することなく
自分の求めたいものというものを
得なければいけない状態
必要なものというものを得るためには
どうしたらいいか?

そのために知恵を使うということ
これを私は実は戦うと言っています。

昔は殴ったりとか蹴ったりとか
怒鳴ったりすることによって
得たい状態を得ようとしてました。

自分が得たい状態があって
それを邪魔するものがこの中間にあるんです。
これを殴り倒したら
その先にあるものは取れる
これは愚かな人が考えることです。

けれどもこの自分が得たい状態の前に
邪魔してるものがある
できればこれと和解することができて
「ちょっとごめんなさい
道を開けていただけますか」
と言って空けていただいて
その得たい状態を得るということが
できるかもしれないし

あるいは
「ちょっとこれすいません
どいていただけますか」
といってもどいていただけないなら
自分が遠回りして
それを取りに行けばいいだけの話なんです。

あえてそこで無用な戦いをするという必要がない。
自分から手を出すということもないけど
もしですよ
命に別状があるような危害を加えてくる人が
もしいたとしたら
それはできる限りの方法を持ってね
自分を守るということはすると思います。

けれどもそれは怒るということと関係ない。

むしろ怒ったらやられます。
怒ったら負けます。
怒ったら冷静な判断を失って
怒ったら自分が普段練習してつけてきた
知識や知恵や経験とか技術というものが
全部飛んでっちゃうんです。
怒りによってそれが発揮されないんです。

ですからぜひ
もし相談者が何らかの形で
いろいろ怒ったりとか
いうことで爆発させることによって
モチベーションを保ったり
そして何かを達成しようということを
今思っていらっしゃるのであれば

それは私も既にそういう道を通ってきたという
一つの私の経験からしてみたら
おそらくそのまま走り続けているといつか
自分が大きく自分の人生を踏み外してしまったり
怒りというものを正当化していくことによって
ますます不利な状況に追い込まれるということが
起きるのではないかなということを
少し心配しています。

相談者への処方箋

さて処方箋です。

処方箋を求められているか
分からないんですが
「私は右の頬を打たれたら
左の頬を差し出せとか
愛とか慈悲とか
そういう言葉で自分の怒りを
ごまかしてしまうのが嫌なんです。」
ということであれば

どうぞ怒って何かに取り組んでみてください。

そしてそれがうまくいくか行かないか
自分で検証なさってみてください。

人を殺めたりね
本当に人生の取り返しのつかない
ということでなければ

どうぞ誰か腹が立つ人がいたら
思うままに悪口を言い罵ってみてください。

どんなしっぺ返しが返ってくるか
というのを身を持って
体験することができると思います。

私はしました。
そして二度と怒りをもって
人に当たるということをしないということを
コテンパンにやられて
そのことを思い知りました。

昔はお釈迦様の怒りということに対しての考え方
仏教で説くところの
怒りは愚かだということに
反発してました。

けれどもいかにそれがアホらしいことか
ということを愚かなことかと
身を持って体験をしてきた。

だから私は自分のね
怒って何かをするということを
極力しないようにしようと
そしてもちろんいろんなことにおいて
強くなりたいと思っています。

昔は鋼のような肉体
鋼のような精神
を目指していました。

そう思って自分でね
トレーニングをしたりとか
いろいろと自分を鍛えようと思って
修行をしていました。

でも散々その鋼のような肉体を
振りかざして
自分のエゴとね
怒りと慢心をもって
物事を打破してやるというようなつもりで
様々なことに当たってきて
それがうまくいかなかったので
あるとき、疲れ切って
素直にお釈迦様の言葉に従うようにしました。

でもそれは決して負けではない。
それは決して弱くなったというわけではない。

今、私が求めたいと思っている
肉体と精神は鋼のようなものではない。
むしろ竹のようなしなやかなものです。

風に吹かれたら揺れる
曲げられたら曲がる。
でもちゃんと曲げる力が去ったら
もとにシャンと戻る。

そのようなしなやかな柔軟性のある強さ
ということが
私は人生を生き抜く上で
とても大切な強さだということを
お釈迦様の教えと自分のこれまでの
様々な愚かな経験から学んできました。
これはすでに検証済みの一つの真理なんです。
私にとってはね。

ですから当然この私の処方箋を聞いてね
何も聖人君子だから怒るなと
言っているわけじゃないです。
怒ったら不利だから
怒らない方がいいんじゃないですか?
っていうことを相談者に提案したいと思います。

相談者へのエール

さて相談者はまだ30代前半です。

たぶんね
ほんとうにこう怒ったり
怒ったりこういろいろしたり
世の中に挑戦したいという
多分熱い想いを持ってらっしゃる人だと思います。

その気持ちは本当にわかります。
何か思いがあるから
衝突するんですよね。

でもね、その思いが強ければ強いほど
怒りながら衝突しながらいく
ということは自分の思いが実現から
遠ざかっていくという一つの
このような法則があるということ。

ぜひ自分で体験しながら
つかんでいかれるといいのかと思います。

決して相談者が悪いと
言っているわけじゃないです。

多分熱き想いがあるので
あちこちで衝突するんだと思います。
わがままが過ぎればたたかれる。
それは当然です。

でも本当にこれは
よくよく心理から照らし合わせてみて
おかしいと思うことは
世の中に本当にあるわけです。

そういうことを
変えていきたいと思うのであれば
ぜひ「知恵」をつけてください。

怒るのは簡単です。
その怒りを知恵によって鎮め
そしてどうしたらじゃあ
より良い状況になるのか
ということを冷静に考えて
そして実際結果として
自分が得ようと思っている結果を得ていく。

それができていけばいいわけですから
そこに怒りは必ずしも必要ではない
というよりはむしろ邪魔になる。

だからお釈迦様は怒りを捨てよ
と仰っているんだと。
それが仏教の説くところです。

あとはこの処方箋を受け取るか受け取らないかは
相談者の自由です。

でもどうぞ熱き想いがあるのであれば
その思いというものの
実現の仕方を学んでみてください。

きっとその熱き想いが良き方向に
行ったときに相談者の周りにはね。
怒る必要がないんだということがわかる状況が
どんどんできてくることと思います。

頑張ってください。

大事なポイントをまとめると

  • 仏教では「怒り」を望ましくない状態として
    諫めている
  • 怒りの正体は恐れと不安
  • 愚かであるがゆえに怒りが湧いてくる
  • 戦うときに最も大事なことは
    自分が冷静であること
  • 戦うときに「怒り」ほど邪魔な感情はない
  • 戦うことと怒ることは違う
  • 負けない気持ちと怒ることは全然違う
  • 自分が怒り狂ったところで
    何も状況は変わらない
  • 冷静になって何か方法はないか
    を考えるのが「知恵」
  • 自分の怒りをごまかしてしまうのが嫌なら
    どうぞ怒って何かに取り組んでみてください
  • どんなしっぺ返しが来るか
    身をもって体験してください
  • 和尚も経験したことがある。
    それ以来、怒らないようにしている
  • 怒らないことは
    お釈迦様の教えと自分の愚かな経験から
    検証済みの一つの真理
  • 怒ったら不利だから
    怒らない方がいいのではないですか?
    という提案をいたします
  • おそらく相談者は熱い思いを持ってらっしゃる方
  • 決して相談者が悪いと言っているわけではない
  • ぜひ(怒らずに済む)「知恵」をつけてください

理不尽ばかりで
イライラしたり
腹立たしいことばかり
というのは
本当によくわかります。
そこで自分の感情をぶつけてしまうと
自分が悪者になってしまうから
「知恵」と「弾力のある心」が必要だと
思います。
自分でもまだまだできていないけど
意識して身につけていきたいですね

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大愚 元勝(大愚和尚)(@Taigu_gensho)さん | Twitter
大愚 元勝(大愚和尚) (@Taigu_gensho)さんの最新ツイート。弟子とこっそりはじめたYouTubeチャンネルですが、多くの方からの反響をいただき、YouTuber和尚と呼ばれる今日この頃です。皆さまが健やかに穏やかな日々を送れますように。合掌
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